科学技術は、多様な商品やサービスを生み出し、身体的なストレスを回避する、便利で効率的かつ快適なライフスタイルを実現することで、相互関係構築能力の拡張に大きく貢献してきました。しかし、遠くない未来、シンギュラリティをもって科学技術中心の時代が終焉を迎えようとしています。
そこで私たちは、科学技術の次の未来技術として「認識技術nTech」を提案しています。
認識技術nTechは、身体的な利便性や快適さだけではなく、スッキリワクワク安心安定の心を手に入れることにも貢献します。さらに愛・信頼・尊厳を基盤とした人間関係構築・チームプレーを可能にすることで、今までにない豊かな生産性と多様性を生み出し、AIにはできない新しいジャンルを広げることができます。
認識技術nTechが次代の新技術であると断言するその理由とは、人類史上、イエスや釈迦などの聖人たち、カントやニーチェなどの天才的哲学者たち、ガウスやカントルなどの天才数学者でも到達できなかった、人類が必ず解決しなければならない問題を明示できるからです。
かの天才学者アインシュタインも「私は地球を救うために1時間の時間を与えられたとしたら、55分を問題の定義に使い、5分を解決策の策定に使うだろう」と言ったといわれています。これは解決策より問題の発見・理解の方がよほど難しいということを意味しています。表面にある問題はすぐに発見し、すぐに解決できますが、真に解決しないといけない問題は奥深く見えないところにあるものです。また時間が経てば経つほど問題の発見・認識・理解は難しくなります。
ですから人類が最優先で解決すべき究極の問題を発見・認識・理解・暗記することをグローバルスタンダード化することは、とてつもなく重要な時代的要求です。
人はみなすぐに解決策を探し学ぼうとしますが、問題解決策を探すことに努力する必要はありません。それよりも真に重要なのは、問題を徹底的に理解することです。
nTechのいう究極の問題を徹底的に理解するには、WHATの観点を中心に問題を理解し、次にWHYの観点で問題を理解、そして何よりも重要なことはHOWの観点で理解することです。今までの問題発見は、HOWの観点を取り入れないことが多く、取り入れたとしてもわずかであったり、表層的であったりしました。
ここからは、WHAT,WHY,HOWの順序で、nTechの解決する問題がどのような問題であるのかを徹底的に認識・理解できるよう、お伝えしていきます。
①否定:肯定
相手の観点を否定すれば、相手が怒り、相手の観点を肯定すれば、相手に従わなければならない。そのため相手の観点を否定も肯定もできない。
②完全:不完全
自分の観点を完全だと思えば、頑固になり、自分の観点を不完全だと思えば、何をしても自信がなくなる。そのため自分の観点を完全とも不完全とも思うことができない。
③異質:同質
人はみな一人ひとり観点が違うため、摩擦衝突が終わらない。だからと言って、みんなの観点を一つに統一してしまったらロボットのようになってしまう。そのため観点の異質性も同質性も認めることができない。
私たち人間は人類誕生よりこのような「観点の問題」を抱えていますが、これがnTechのWHATレベルの問題の理解です。
なぜ人類は真の問題である「観点の問題」に気づけなかったのでしょう。
観点は関心とも言い換えられます。最も関心があることを中心にして観点・判断基準がつくられるからです。その関心は十人十色ですから、皆バラバラな観点を持ってしまうのです。
そのうえで私たち人類は、親をみても親をみずに自分の観点をみているというように、子ども、友達など誰を見ても対象そのものではなく自分の観点をみており、右を見ても左を見ても観点の中、夢の中でも夢から目覚めても観点の中、人間は生きている間ずっと観点の中にいます。さらには死んだ状態でも観点の中、死んで生まれ変わっても観点の中と、ずっと観点の中で輪廻転生、カルマのエネルギーのアルゴリズムを繰り返しています。これをニーチェは永劫回帰と表現しました。
もし生まれてこの方ずっと窓も扉もない真っ暗な部屋にいるとしたら、部屋の中は長年による排泄物で悪臭が漂い、とても居心地が悪い状態でしょう。外に出る術がないため見て見ぬふりをしてやり過ごそうとしますが、いつか我慢の限界が来ます。
同様に「観点の中からずっと出られずにいること」が、人類の「正しく絶望すべきこと」です。
現在人類は、やり過ごすこともできないくらい我慢の限界に達しており、このまま観点の中で外に出ることを諦め、無限大我慢し、無限大合わせて、無限大演技をして自滅するか、それとも観点の外に出るべき術を真に追求するか、運命の岐路に立たされています。
観点の中にいる状態では、常に観点というバイアスが働き、観点そのものを客観的に理解することができないため、観点の問題を発見・認識・理解できず、解決できません。
人類はずっと1つ(観点)しかみていないのに、あたかも多様な存在を見ていると思い込んだまま一生を送り、気づかないまま死んでいくことを繰り返しています。
ですから「観点の中からずっと出られずにいること」は、可及的速やかに根幹から解決しなければならない問題であり、誰一人として無関係ではない、人類が最優先で取り組むべきことです。
このように「観点の中からずっと出られずにいること」が、人類の「正しく絶望すべきこと」であり、nTechのWHYレベルの問題の理解です。
今までの叡智を極めた聖人や哲学者、科学者、数学者の本質的・究極的質問は、HOWレベルの問題が欠如していました。そのため人類はいまだ共通の問題意識を持てず、鬱・自殺・殺人・戦争の絶えない生き方を続けています。
HOWレベルの問題の理解は、遠心力と求心力の関係とよく似ています。
宇宙自然はポジションゲームです。遠心力は多様なポジションがあり、どこまでも拡大拡散する意志がありますが、対して求心力はどこまでも深く中心である一点に引っ張ろうとします。
中心(求心点)に対する求心力が強いほどその反動である遠心力も強くなります。 求心力は、全人類が優先して解決すべき「究極の問題の発見・認識・理解」です。理解が難しい場合はまず「暗記」でかまいません。
この中心への求心力を深めれば深めるほど遠心力である問題解決の質と範囲も強くなります。つまり究極の問題意識を持つことが、すべての問題にオールマイティに使える問題解決策を得ることにつながります。 とても大切なことですから重ねてお伝えしますが、遠心力である問題解決への意識はさほど必要ではありません。重要なのは求心力、問題意識の深さ、究極の問題の発見・認識・理解なのです。
さて、問題意識の深さには5段階あり、[A]から[E]に向かうほど問題意識の段階が深くなります。 [A][B]は問題意識を持てない状態です。
[A]妄想の中にはまり、問題意識が持てない
羞恥心、罪悪感、劣等感、被害妄想が蓄積し思い込みが暴走して誰も介在できないほど独自の妄想の中におり、注意力散漫で集中することができない状態です。
[B]思い込みにはまり、問題意識が持てない
思い込みと事実の区別がつかず、人の言動に気を取られては、相手や自分が正しい・正しくないなど、考えや感情に忙しい状態です。
[C][D][E]の段階は、スマートフォンを例えにすると理解しやすいでしょう。
「スマートフォンとは何か」という問題を理解しようとするとき、重要なことはスマートフォンの現象全体を正しく捉えることです。 画面の画像の一部の模様や形を理解の出発点にしてしまったら、当然ながらスマートフォンの現象全体を正しく捉えることはできないため、問題の理解は不可能です。
では、画像が映し出される画面ONの状態が理解の出発点ではどうでしょうか。これも現象全体を捉えていないため、問題の理解は不可能です。
スマートフォンの現象全体を正しく捉えていると言えるのは、画面に画像が映し出されるON状態と映し出されていない真っ暗なOFF状態の画面を表裏一体の同一構造として見られる時です。
このように「ON=not ON(OFF)」としてスマートフォンの現象全体を捉えられたときに、「スマートフォンとは何か」という問題の理解が可能になるのです。
同様に現実は、観点を通して映し出したスクリーンのようなものです。
存在も意識もすべて現実は、観点による思い込み、実在するものではありません。つまり私たちは観点によって一人ひとり独自の宇宙を立ち上げているのですが、この人間観・宇宙観をPU(パーソナルユニバース)と呼んでいます。
この観点が生まれることによって生じる宇宙の作動原理、意識の作動原理、意思決定の原理は、スマートフォンなどのコンピュータ(デジタル)の作動原理と非常によく似ています。
現実は画面に映像を出力しているON状態で、これを「映像スクリーン」。現実(物質世界)を映し出す背景となるエネルギーは、真っ暗な画面のOFF状態で、これを「バックスクリーン」と呼び、2つをまとめて「スクリーン」と呼んでいます。
このように「映像スクリーン」=「not映像スクリーン(バックスクリーン)」、生きている人=死んでいる人、起きている人=寝ている人、関心を持って見る人=無関心で見ない人、などのように、現実(物質世界)とエネルギー世界を表裏一体の現象全体として捉えられたとき、全人類が解決すべき究極の問題意識にアプローチができるのです。これを踏まえて[C][D][E]の段階を説明しましょう。
[C] 自分・人間・存在はどこから来て、どこへ行くのか
多くの人は、「自分・人間・存在はどこから来て、どこへ行くのか」という問題意識を持っています。今までの叡智を極めた聖人や哲学者、科学者、数学者も、多くはこの問題意識の段階でした。この段階は身体の自分・存在があることが大前提、主語(S)+述語(V)の因果アルゴリズムに捕まったまま、つまり観点の中で思考する状態です。いうなれば、スマートフォンの画面に映し出された画像の一部の模様や形を理解の出発点にしているのと同様、「映像スクリーン」の中の存在を理解の出発点にしているため現象全体を捉えられておらず、究極の問題発見・認識・理解ができなかったのです。
[D] ワンネスの自分(自分と自分の宇宙)はどこから来てどこへ行くのか
さらに深く追求する人は、現実は自分の観点を投影している幻影・思い込み=自分と自分の宇宙として捉え、ワンネス(Oneness)の境地にたどり着きます。そのため「ワンネスの自分はどこから来てどこへ行くのか」という問題意識の段階にいます。この段階も映像スクリーンのみを理解の出発点にしているため現象全体を捉えられておらず、究極の問題発見・認識・理解はできません。
また、違いを受け入れる相対的な和はつくれますが、究極の問題意識レベルではないため、絶対的な和のチームプレーによるイノベーションは起こせません。
[E] スクリーンはどこから来て、どこへ行くのか
スクリーンは1秒間で10の500乗回も映像スクリーンとバックスクリーンを行き来する振動(動き)をしています。宇宙自然に物質が存在するためにはサハロフの3条件を満足させることと言われますが、これはバックスクリーンの対称性が破れ、映像スクリーン化される動きとつながります。
この映像スクリーンとバックスクリーンを行き来するスクリーンの振動(動き)が現象の全体像です。これにより「スクリーンの動きがどこから来てどこへ行くのか」という究極の問題意識を持つことができ、現象の生滅の仕組み、本質が見えるようになります。これがnTechのHOWレベルの問題の理解であり、真の問題発見・認識・理解が可能になる段階です。
そもそも観点の用途・機能・目的とは何でしょう。
観点の用途は、観点のゼロ状態のオリジナルマインドがバックスクリーン(量子場・エネルギー場)(観点∞)をつくり、サハロフの3条件によってさらにそのバックスクリーンから映像スクリーンを生み出すという、連続2段階の変化を起こすこと。
観点の機能は、映像スクリーンの中の多様な存在の変化・運動・移動の関係性をリテラシー(解釈)すること。
観点の目的は、観点の機能によって、リテラシーの方向性・目的が一貫性を持つようにすること。(観点1つに固定)
この観点の用途・機能・目的に支配されずに、観点の用途・機能・目的を自由自在に扱いこなし楽しむためには、すべての観点をゼロ化し(All Zero化)、観点の外=観点のない状態(観点0)から多様な観点(観点∞)が生まれ、さらに多様な観点(観点∞)のうちの1つの観点(観点1)に固定されるメカニズムを理解すること。
そして「観点の外=観点のない状態(観点0)」にいつも自分の心を置き、観点の用途・機能目的を楽しむことができる感覚「PU(パーソナルユニバース)スクリーン着火点感覚」を得ることです。
これは、信じることではなく完全理解によって得られるものです。また、この感覚を用いて認識することをデジタル認識といい、それを可能にする技術を「認識技術」と呼んでいます。
観点の外に出て、観点の外と中を自由に行き来できるようになれば、人類は二度と絶望せず、愛、平和、歓喜にあふれる希望そのもので生きることができます。 このように認識技術nTechは、究極の問題意識「映像スクリーンとバックスクリーンが行き来するスクリーンの振動(動き)・現象の全体像がどこから来てどこへ行くのか」の本質に導き、究極の問題の発見・認識・理解を可能にすることで、問題解決への道を切り開く人類待望の新技術なのです。