2016.12.12 コラム

「生命知能」から「精神知能」を開発開拓する時代へ

今の時代は、情報過剰時代といわれ、まるで「ノアの箱舟」の大洪水のような情報知識の大洪水が起きています。
例えば、ある一つの特定分野の博士論文が、1週間に約20~30個ものペースで発表されているといった状況ですから、大学教授自身が、自分が教えている知識がその分野の最先端知識ではないことを一番よくわかっているでしょう。
また、フェイスブック、LINE、ツイッター、ブログなど、インターネットを通じて毎時間、新しい情報知識がアップされ、インフラも進化発展しています。
一昔前なら30年かかって得た情報知識を、今はたった3日で得ることができるくらいの情報過剰社会になっているのです。

今までは、情報知識を増やす教育に価値が置かれていましたが、今からはまったく方向転換し、「知ってる世界」がどれほど問題を生み出すのかを正しく理解し、「知ってる世界」からいかに完全に自由になるのか、すなわち「知ってる世界」をオールゼロ化して、消しゴムのように「自分」と「自分の宇宙」を完全に消すことができる真実の智恵が必要不可欠になっていきます。
なぜなら、以前は、情報知識を知らないことで問題が起きてしまうことが多かったために、いかにたくさんの情報知識と出会い、それを暗記するのかが重要でした。そして、人間の体を便利にする多様な商品が開発され、科学技術が発達していきました。
しかし、情報知識が過剰になっている今の時代は、知らないから起きる問題よりも、逆に、知っているから起きてしまう問題が多いことに気づかなければならなくなっています。なぜなら、個人も集団も、それぞれが主観的な独断で物事や情報知識を整理整頓しているにもかかわらず、自分の知っている情報データに基づいた判断が「絶対に正しい」と思い込んでいる人が増えているからです。
その結果、他人を否定したりジャッジすることが増え、「正しい」と思う判断基準の違いからくる摩擦や衝突、関係性の不和が増え、鬱や自殺、殺人、戦争を引き起こしています。

認識技術「観術」は、「知ってる世界」をオールゼロ化し、心をスッキリさせることができる「精神知能」を発展させていきます。この「精神知能」は、これからの精神文明・心の時代をリードしていく、今までとは次元の違うメタ知識になるのです。
そして、個人や集団の独断的な決めつけではなく、客観的理解に立脚したすべての知識の整理整頓が起きて、複雑な部分部分の知識を、ひとつで全部シンプルに整理できるようになります。それによって、心をスッキリさせることができるのが、認識技術の価値です。
個人が集まって集団・組織が形成され、その集団・組織が大きくなったものが国家組織や宗教組織ですが、これまでは、集団・組織が大きくなればなるほど、意思決定のスピードが遅くなり、意思決定の結果も、賢いとはいえない決断になってしまうため、集団と集団の摩擦や衝突がひどく、一人ひとりの無限の可能性を生かしてくれるような集団・組織は、なかなか生まれませんでした。
しかし、明確な客観的理解のもと、一人ひとりがスッキリした心で、すべての現象を洞察することができるような人達が集まった集団になった時には、その集団・組織が大きくなればなるほど、もっと賢く、もっと平和的に、もっと愛の溢れた集団の意思決定ができるようになります。

さらにこれからは、人間の意思決定能力よりも、1兆倍×1兆倍も優れたAI(人工知能)が競争現場に次々と登場する近未来が予測されます。昨日のお昼ご飯に何を食べたのかも覚えていないくらいの人間の脳のメモリ量と、100日前のお昼に何を食べていたのかを正確に記憶できる人間代行者AIとを比べたら、競争がまったく成り立ちません。
今まで人類は、人間の体を便利にするために、「科学技術と生命知能」を開発開拓してきました。これからは、人間一人ひとりの心をスッキリさせるために、心の仕組みを活用して、「認識技術と精神知能」を開発開拓していく時代です。
その新しい開発開拓を通して、AIが中心道具になる中でも、人間の尊厳が守られる未来社会を創建することができるのです。
そのためには、過剰な情報知識をオールゼロ化し、まったく新しい質の違う情報に次元上昇させることができる教育が重要になります。

一度建てたら壊すことができない建物と、壊すことができて新しく建て直すことができる建物があるなら、この世の中にどちらの建物が立つのが望ましいでしょうか?
当然、古い建物を壊して、新しく建て直すことができるのが、望ましいでしょう。
人間のイメージも建物と同じで、一度知った「イメージ」をゼロ化することができないことが、人間の苦しみの原因でもあります。
人類は、なぜ、1度知った存在のイメージをゼロ化し、いつでも新しく建て直すことができるようにする教育に失敗していたのでしょうか?
それは、「世界の根源(宇宙自然の根源)」を明確に規定(Define)できなかったこと、そして、それを言語化するのに失敗したため、「不可知論」や「不立文字」に留まり、共有・共感、伝達することができなかったのです。 

認識技術「観術」は、世界の根源と多様な現象との関係性を明確にイメージと論理で立証することに成功しました。そして、それを誰もが認識再現できるようにするために、「イメージ言語」という道具を発明しました。
今まで生命知能を構築してきた情報知識は、主観的独断の観察・観測によるものでしたが、これからは、その限界を越えて、世界の根源を使って観察・観測し、客観的理解を土台にした情報知識を発信していく時代になります。
今後も、認識技術・認識教育を普及することを通して、人類社会に貢献していきたいと思っています。

Noh Jesu