文明の土台となっているものは学問ですが、すべての学問は「自分(人間)と自分(人間)の宇宙が実在する」という、「存在が有る」ことが大前提の認識方式によってつくられています。
この大前提は誤った思い込みであるにもかかわらず、私たちは誰もがその大前提に基づいた教育を受けて生きています。つまり、私たちは教育によってつくられた、集団の思い込みの中で生きているのです。
その状態では、知識がどんなに増えても、「今ここ」の出会いを美しく観ることができる智慧になっていないという、本質的な限界があります。
「今ここ」、1秒よりも短い0.0000000001秒の瞬間を、どう認識するのか、どう観るのかという、認識活動から生まれる「考え」「意思決定」「行動」の蓄積によって、人生が決定されていきます。
ですから、基本活動となる「今ここ、この世界をどのように認識するのか(観るのか)」という出発の認識活動が、幸せや成功を決定する最も重要な要素になるのです。
人間が社会生活をする上で、知らないことが原因で起きる問題もたくさんありますが、それ以上に問題なのは、知ってることが原因で起きる問題です。知ってる世界がお互い違うため、その違いによって起きる摩擦や衝突、葛藤などが、鬱、自殺、殺人、戦争につながっているからです。
これからの心の時代・精神文明の時代は、今ここの多様な出会いを美しく認識できる道具・技術を持っているかどうかが、人生を決定づける最も重要な要素になります。
認識技術は「オールゼロ感覚」という新しい感覚を付ける技術ともいえます。それは、脳が思い込んでいた「知ってる世界」から完全に自由になることを意味します。
そのためには、「自分と自分の宇宙」が無いところから有るようになっている仕組みを理解し、宇宙(世界)の根源である絶対真実の世界、究極のリアリティひとつだけと1対1で出会う姿勢が必要です。
自分の宇宙の外に出て、「無」から「有」を生み出しているオリジナルマインドそのものになって、今ここを観たとき、すべてを美しく観ることができるのです。そして、スッキリ、ワクワクした健康な心、大自由の心で生きることができます。
すべてをオールゼロ化し、「知ってる世界」「イメージ可能な世界」「因果関係」に束縛されない「イメージ不可能な世界」が明白に認識できる心の境地、すなわちゼロ感覚、空の感覚の世界を、観術では「無知の完全性」と表現しています。この「無知の完全性」が、宇宙(世界)の根源であり、絶対世界、究極の真実の境地です。
「存在が有る」ことが大前提の既存の認識方式の限界を補って、常に今ここ、イメージ不可能な「無知の完全性」「究極のリアリティひとつ」からすべての現実・現象を美しく認識し、新しい成功のライフスタイルへ転換できる道具が認識技術「観術」です。
Noh Jesu