2017.03.30 コラム

基準点革命を通して意識も無意識も開発するメタ認識の時代へ

多様な情報が洪水のように氾濫する現代社会では、不完全な判断と意思決定能力のままでは、ストレスやプレッシャーが増えるばかりで、生きることはますます苦しくなっていきます。

さらに、今後、人工知能が急速に進化し、人間をはるかに超える知性を持つ未来社会において、本質的な問いの答えを持たないままでは、人間は力強く生きていくことはできません。

今までは、情報知識を増やす教育に価値が置かれていましたが、今からはまったく方向転換して、「知ってる世界」がどれほど問題を生み出すのかを正しく理解し、「知ってる世界」からいかに完全に自由になるのか、すなわち「知ってる世界」をオールゼロ化して、消しゴムのように「自分」と「自分が認識している宇宙」を完全に消すことができる真実の智恵が、生きる土台に必要不可欠になっていきます。

これまでの学問や教育では、どんなに「知ってる世界」を増やしても、客観的絶対世界に到達し、それを定義、共有することは不可能です。それは、あらゆる学術教育の基準点に問題があったという意味であり、あらゆる知の探求の最終解答である真実の世界を認識再現し、活用応用する教育の究極の目標を放棄してきた学術教育の限界でもあるといえるでしょう。

 

これまでの物質文明では、生きる主体は体の人間であり、人間の体の外を開発・開拓してきたのですが、これからのポスト身体社会では、体を含めて模様や形を認識する五感覚の認識世界も、開発・開拓の対象になっていきます。そうなると、自分の体や自分の観点を中心にして生きる今までの認識方式はもはや通用しなくなります。

これからは、意識も無意識も開発することができる客観的絶対世界を中心の基準点、中心のアイデンティティとして、自由自在に観点を移動させ、意識と無意識を成り立たせる究極の真実の世界を活用するメタ認識の時代になります。

これは、人間のアイデンティティと観点そのものが、天動説から地動説のように大反転する意味であり、観術ではそれを「あり方天動説から、あり方地動説へのアイデンティティの変化」と表現しています。

固定していた観点をオールゼロ化させることで「意識の無意識化、無意識の意識化」が可能になり、メタ認識、メタ観点を持つことができるようになります。そして、今までイメージ不可能だった世界がイメージ可能になる意識の拡張を通して、「意識とは何か。意識は、いつ、どこから生まれるのか」という質問自体が誤った認識の出発からの問いであったことがわかり、「実は、物質もないし意識もない、そして無意識もない、実在するのは5次元ひとつの動き(オリジナルマインド)だけである」という真実が、明確に理解できるようになります。

 

学術教育では、因果関係の思考論理に束縛され、結果的に自分の考えや感情、人間関係を統制できないまま、複雑な観念知識ばかりを蓄積してきました。科学技術に依存した物資文明の世界的な限界を迎えているのが今の時代なのです。

ですから、宇宙自然の根源である客観的絶対世界・真実の世界の獲得を通して宇宙の初期設定を知り、今ここ、自分と自分の宇宙を統制可能な美しいゲームのように楽しむことができる認識革命が、本当に重要なのです。

人間は、「知ってる世界」から自由になること、つまりすべての考えや感情、煩悩から自由解放されて、考えに勝利した時、絶対尊厳そのものの心の境地に到達します。それこそが人間完成の境地であり、比較不可能な絶対尊厳の人間の再定義の完成なのです。

そして、真実そのものの心人間・再創造主として、自ら新たな宇宙の場のセッティングを行い、無限の可能性を爆発させることで、今までの四苦八苦、残酷、悲惨、屈辱を乗り越えて、希望溢れる新しい生き方を再設計することができるのです。そのためには、宇宙の初期設定の仕組みを理解し、「人間と人間の宇宙は実在しない」ことを受け入れる勇気が必要です。

人間の無限の可能性が閉ざされたまま、衝突や対立を繰り返してきたこれまでの人類の悲しい歴史に終止符を打ち、お互いを生かし合える愛と尊厳の時代を共につくっていきたいと願っています。

Noh Jesu