令和哲学シリーズ32では歴史の脈絡からみて、なぜ映画『ジョーカー』が今のタイミングで生まれたのか、そして私たちがそこから何に気づくべきなのかと世界基軸教育について語ってみたいと思います。
映画『ジョーカー』を通して、現代人が共通に持っている悲惨、惨め、怒り、挫折、絶望、焦り、孤独、不安、恐怖等の“エネルギーの感情ステーション(感情の駅)”自体を一掃させ、自分の感情に束縛されない大自由の心で、人と人とのつながりや尊厳関係が構築できる「希望のビジョン」を現代人が求めているということが明らかになっています。
数万年前に誕生して以来、人類はずっと言語を開発し、思考感情を生成・蓄積・表現することで意味価値を追求してきました。
その虚構の基本単位は主語と述語(S+V)の世界です。
模様・形があって、模様・形が変化・運動・移動する運動パターンを観察し、それらを“主語があって述語があるというイメージの範囲”で意味価値を整理整頓し、理解体系として使っていました。つまり“模様・形がない世界”から“模様・形がある世界”が誕生したことに対して、「神が宇宙を創造した」という結論を出したのです。
これが、虚構が生まれるプロセスです。
古代の人類は虚構が生まれる仕組みをまったく分からない状態で、盲目的に神が宇宙を創造したことを信仰しました。
模様・形がない世界を神、絶対世界だと決めつけ、この絶対世界からすべてが成り立っていると思い込んでいたため、“結果は価値がなく原因に価値がある”と思っていました。“原因”がすべての力の源であり知恵の源として、第一原因・神を崇拝します。
その第一原因・神の崇拝状態となることで多くの群衆たちの「結集」が起き、信仰が拡がり農業革命が起きていきました。このように多くの人たちを結集することで、ホモ・サピエンスは虎やマンモスやライオンなど自分達より大きい動物さえも制圧し、他のホモ属を制圧し、地球を征服することに成功しました。
「結集」の問題は人間にとって生存の絶対条件であり、競争に勝利する絶対条件、生産力獲得のための絶対条件だったのです。また生産力増大の絶対条件でもありました。ホモ・サピエンスは言語と虚構を開発したため、大勢の人を結集して秩序をつくることに成功したのです。人間にとっての第一問題は結集の問題です。
現代もビジネスの場において、お客様をどう結集させるか、社員をどう結集させるか、情報技術をどう結集させるかは大事な要素になっています。
結集の次に出る問題は「分配」の問題です。
狩りに成功した人たちは、狩りの結果物をみんなに分配しなければいけませんが、どう平等に分配すればいいのか?の問題に直面するのです。
その問題を解決するために生まれた概念がリーダー、指導者の概念です。
結集して狩りの結果物をどうすれば平等に分配できるのか?平等な分配のために創ったリーダーが、逆に独断・独裁に走るため、リーダーの独断・独裁をどう解決しながらどうやって分配するのかが課題になりました。それで人類は民主主義や多数決をし、リーダーの任期期間を制限しました。そのような問題を解決する中で、人類は神と王様の絶対権力である全体主義の時代から、個人主義、民主主義、自由主義、社会主義を誕生させました。
次に生まれる問題が、リーダーの交代による(すなわち政権交代による)政策システムの不連続の問題をどう解決するのかという問題です。
リーダー、政治権力が変わるたびに全ての政策がころっと変わってしまうため、持続性がなく生活環境が不安定になってしまいます。政権が変わっても持続性を維持しながら、安定した生活システムを構築する必要性がありました。
そこで生まれたのが「神の見えざる手」、マーケット、資本主義でした。
政権が変わっても、商品価格やマーケットに関与をできるだけしないような仕組み、マーケットの開発によって安定した生活環境を守りながら、政権交代が可能になりました。
しかし、それによって貧富の格差、観点の格差、複雑の問題、統合の問題、尊厳の問題が発生しました。
マーケットによって激しい富の格差が起きるため、その複雑な格差が統合不可能になっている問題を明々白々に明らかしたのが映画『ジョーカー』の背景です。
全体主義から個人主義に変わるときは、美しい希望と未来がみえるような期待であふれていましたが、個人主義の結論も、全体主義に負けないくらい悲惨で残酷で、屈辱があふれる結論になっています。「神のみえざる手」と呼ばれたマーケットは、AIによって人間の仕事場も奪ってしまいます。そして多くの人々が“無用者階級”に転落してしまう時代がもうすぐ来るのです。
映画『ジョーカー』は個人主義の限界を訴える映画でもありますし、脳に支配されている観点の問題、感情の問題、認識構造の問題、関係性の問題、感覚の問題、解析の問題、解析主体の問題を気付かせる映画でもあります。
宗教を中心にする神本主義から科学を中心にする人本主義に、西洋のルネッサンスが起きました。
西洋哲学は人間の”5感の外”を重要視し、5感の結果物である現実世界よりさらに力と知恵を持つ原因、その原因の中でも一番深い第一原因を発見する方法(5感の外)で真理を追究してきました。
その結果、イデオロギーの衝突や宗教紛争はもちろん、世界レベルの大戦争、第1次・2次世界大戦が起きてしまいました。
西洋哲学界は戦争に到達させた思考方式を反省し、“5感の外”から原因を探すのではなく、“5感の内”を大事にするポストモダニズムを誕生させました。一人ひとりの人間の特別性を大事にする多様性、多元性を尊重するべきだと強調します。
その結果、複雑性が増大、格差が増大、統制不可能、未来予想不可能な状態が増大し、AIの登場、科学技術万能主義の登場、人間尊厳性の破壊、少子高齢化、持続不可能な未来社会など様々な問題を量産しています。
そんな多様な問題の中でもAIの登場とともに無用者階級が量産されるホモ・デウス〜新人類の登場は、ホモ・サピエンスの滅亡を予言しています。このハードランディングをソフトランディングに変えるためには、科学技術を補う認識技術が必須になります。
最近5G時代の到来とともに、事物インターネット時代に突入しています。
これは機械と機械、アルゴリズムとアルゴリズムが相互交流するポスト身体社会の到来を意味しています。
ポスト身体社会とは、今までの身体を身体1.0ver(バージョン)で規定し、身体をアルゴリズムの総合体で規定し、体に電子アルゴリズム、チップを装着させ、半分は機械、半分は自然の身体にさせることを身体2.0と呼びます。
人間の脳細胞までも人工チップに変えるようになったときに、身体3.0と呼ぶことができます。身体3.0になってしまったら、今までの環境と分離独立している単一体として、単一体個人という概念がゼロ化されるようになります。
ここまでが科学技術の終焉です。
データ至上主義のもとで、データ至上主義を土台にした人間の体は、宇宙全体のデータの循環を活発にさせる無限に多いアルゴリズムデータのひとつの部品に過ぎません。その結果、ホモ・サピエンスとしての“個人”という概念が消滅するようになります。
この身体3.0バージョンの構築までが、科学技術が進化発達するシンギュラリティ、技術の特異点になります。これ以降の開発開拓は科学技術ではなく、認識技術(nTech)が開発開拓をリードしていくのです。
身体1.0、2.0、3.0の生産方式は、生命知能でした。生命知能は、因果の論理、主語と述語の論理、虚構の論理が中心として働く時代をつくりました。
これに続く精神知能は、物質の因果論理やエネルギーの重畳論理を生み出している“模様・形がない世界”が“模様・形がある「虚構」の世界”を誕生させる仕組みを観察できる時代を拓きます。この心の世界は、IoT(事物インターネット)からIoE(万物インターネット、Internet of Everything)時代に移動することを意味します。
機械的条件反射、因果論から自由になれない”5感の脳”が支配する認識から、脳に開放された心が支配する包越論理を土台に知識生産方式が発達してきています。
この時代はオールゼロ化感覚、心感覚が開発され、現実を映画のスクリーンのように捉え、スクリーンの外からスクリーンの内を自由に往来し映画を楽しむようになります。
この精神知能が進化し続ければ、尊厳知能、精神cell(細胞)を誕生させ、未来にはテレパシーコミュニケーションが可能な新人類へと変化していくことが予測できます。
生命知能は、
①神本主義(宗教の時代)
②人本主義(科学の時代)
③人間至上主義(ポストモダニズム)
④テクノ人間至上主義(AI時代)
⑤データ至上主義(シンギュラリティ)
の時代をリードしています。
この5つの時代は人間の脳と科学技術がリードする時代でした。脳と科学技術による生命知能を含め、心と認識技術がリードする精神知能・尊厳知能までを融合した教育が世界基軸教育になれるのです。
映画『ジョーカー』は、人間一人ひとりが自分の宇宙、自分の映画をみて、自分のゲームをしているということ。すなわち今の時代が個人主義の末期ガンの状態であることを明らかにさせる映画でした。
何が客観的事実なのか、主観的妄想なのかの境界線が明確ではなく、お互いの映画解析が違う、お互いのゲームルールが違う。お互いの住んでいる宇宙が違う宇宙であることに気づかないまま、万人による戦闘や傷つけ合いばかりで、愛と信頼が住める場所は針の穴の空間さえもない、不信・不安・恐怖だけがある世界であることを、この映画『ジョーカー』は訴えています。
共通土台ゼロの個人と個人の出会いを共通土台∞(無限大)に変え、エントロピー∞の社会をエントロピーゼロに変えるためには、人間にDeep Learning、すなわち一番深い心から物事を観る「今ここ完全観察システム」「神の見えざる目」が必要です。それを中心にした世界基軸教育がとても必要だと認識できる映画でした。
世界基軸教育を具現化するのは唯一無二の英雄集団、世界最高の勇気を持っている集団である日本文明からしかできない確信があります。
今ここ完全観察システムを案内するnTechが、日本発の世界基軸教育の道具になれたら幸いです。
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