2024.04.10 映画・本解釈

映画『オッペンハイマー』がくれた究極のメッセージ

昨年7月に全米で公開されたクリストファー・ノーラン監督による映画『オッペンハイマー』。第96回アカデミー賞で最多7部門を冠した超話題作だが、日本人の感情を危惧してか、日本は約8か月遅れで封切られた。

世界は今、日本がこの映画に対してどのように反応するのかと注目していることだろう。興行収入ベースでは公開から3日間で3億7800万円を記録、最終興収は25億円以上と予測されている。

この映画を私は、「日本は変わりたいのか?変わりたくないのか?どうする日本」という日本への重要な投げかけとして捉えている。どういうことかの本題に入る前に、まず映画全体の理解から始めていきたい。

当時の時代背景①ナチス・ドイツへの脅威

まず公式サイトに掲載されているストーリーを紹介しよう。

第二次世界大戦下、
アメリカで立ち上げられた極秘プロジェクト「マンハッタン計画」。
これに参加した J・ロバート・オッペンハイマーは優秀な科学者たちを率いて
世界で初となる原子爆弾の開発に成功する。
しかし原爆が実戦で投下されると、
その惨状を聞いたオッペンハイマーは深く苦悩するようになる。
冷戦、赤狩り―激動の時代の波に、
オッペンハイマーはのまれてゆくのだった―。
世界の運命を握ったオッペンハイマーの栄光と没落、その生涯とは。
今を生きる私たちに、物語は問いかける。

映画『オッペンハイマー』公式 https://www.oppenheimermovie.jp/# より引用

映画は3つの時系列が交錯するかたちで展開する。ひとつは1930年~45年、オッペンハイマーが原爆を開発して使用されるまで、2つ目は1954年、オッペンハイマーのスパイ疑惑で開かれる聴聞会、3つ目は1959年、ストローズに対する米国商務長官の人間に関する公聴会だ。またオッペンハイマーの視点(カラー:分裂 / fission)とストローズの視点(モノクロ:融合 / fusion)と対立を際立たせながら話は進む。

このような複雑な展開に加え、50人以上もの登場人物の立ち位置や背景の説明がほぼないため、難解だという声も少なくない。そのため当時の時代背景を知ることが映画の理解の助けになってくる。

オッペンハイマーが教鞭をとり始めたのは世界恐慌が始まった1929年。ドイツは第一次世界大戦の賠償金の支払いに苦しみ、失業者が溢れて社会への不満が渦巻いていた。そんな中でヒトラー率いるナチス政権が誕生。世界でも資本主義社会への不満が強まり、共産思想への傾倒者が増えていた。

ヒトラーは問題の原因を「ユダヤ人」だとしてホロコーストを始めたため、ユダヤ人という理由だけで虐殺され、その数は600万人にもなった。またナチス・ドイツは1939年、ポーランドに侵攻して第二次世界大戦を勃発させ、その戦況を優位に進めた。

ナチス・ドイツは第二次世界大戦が始まる前年の1938年12月、ウラン235の原子核に中性子を衝突させて分裂させることに成功(ウランの核分裂発見)し、ウラン輸出を禁止した。この事態を危惧してルーズベルト大統領に送られた「アインシュタイン=シラードの手紙」は有名だ。

またイギリスのチャーチル首相は、原子爆弾の早期完成が戦後の世界戦略に欠かせないとルーズベルト大統領を説得し、科学者をイギリスからアメリカへ送って原爆開発計画を支援、1943年8月にチャーチルとルーズベルトの両者は原爆を共同開発すると決めた秘密協定「ケベック協定」を締結した。

科学者にはユダヤ人が多く、彼らは焦っていた。物質をエネルギー化する仕組みは量子力学が土台になっていたが、当時のアメリカでは量子力学が十分に発達しておらず、ドイツに先を越されていた。また原料のウランもアメリカにはごく低質の鉱石がそこそこの量だけ存在するのみだった。

もしナチス・ドイツが真っ先に原子爆弾の開発に成功すれば、世界を破滅しかねない大惨事となる。当然、世界中のユダヤ人虐殺も加速するだろう。ならばナチス・ドイツより先に原子爆弾の開発に成功することは必須だ。ナチスを倒して戦争を終わらせるため、また世界を救済するためにも―。その切迫した思いから1942年にスタートしたのがマンハッタン計画だった。

マンハッタン計画はニューメキシコ州のロスアラモスで秘密裏に行われた。世界中の天才科学者を結集させ、3年間で20億ドルという当時としては天文学的な額が投じられた。この数字からも、いかにアメリカの命運と世界人類の命運を賭けた一点集中のプロジェクトだったかが伺える。彼らは一分一秒を争いながら極秘プロジェクトに没頭した。

当時の時代背景②原爆の威力と水爆の開発

しかし戦況は変わり1945年4月30日にヒトラーは自殺、5月8日にナチス・ドイツは降伏した。原爆投下目標だったナチス政権は倒れ、完成間近の原爆開発は岐路に立たされた。しかしマンハッタン計画は膨大なお金と人材を投入した一大国家プロジェクトで簡単に放棄できるものではなかった。完成すればその破壊力はかつてないものとなり、戦況を一発で変えるほどの威力を持つという結論は理論上明らかだった。だからこそ、この計画の中断は考えられなかった。

結局計画は中止されず、むしろ早急に進められてトリニティ実験は成功した。人類史において、これ以上強烈な破壊力は生まれないのではと思わせるほどの威力が確認できた実験となった。

人間は一度手にしたものを使いたくなる。完成した原爆も例にもれず、「使いたい」という誘惑が彼らを襲った。そこで標的になったのが日本だ。

当時の日本に対しては「降伏する準備がある」という意見と「最後まで降伏しない」という意見とで割れていた。

「最後まで降伏しない」という意見の裏には、対日戦でみた日本の精神の強さがあった。例えば硫黄島の戦いでは、アメリカ軍は戦死者6,821名、戦傷者21,865名の計28,686名もの損害を出した。無人島ひとつを制圧するのに一か月以上かかった上に甚大な被害を被ったこと、また神風特攻を恐れない精神を持つ日本の本土を制圧するには、どれほどの犠牲を払わねばならないのかと思わせた。日本は最後のひとりまで戦う。負けを知らないし、負ける概念も持ち合わせていない。だからアメリカは戦争を早く終わらせ、犠牲を最小限にとどめるためにも核爆弾を使うしか無いという結論をだした。あくまでこれはアメリカの観点からの解釈だが、彼らが死を恐れない日本精神に慄くのも理解はできる。

また、東京大空襲を始めとする日本本土への空襲により、日本の民間人を含めた犠牲者は10万人を超え、犠牲者への感覚が麻痺していたこともあった。さらに8月15日にはソ連の対日参戦が控えていたこともあり、これ以上の犠牲者を無くして戦争を終わりにしたい、そのためには日本に原爆を投下すべきだとトルーマン大統領は投下の決定を下した。

加えて、「原爆の威力を確認したい」こともあり、日本への通告や警告をせずにファットマンとリトルボーイの2種類を使うことに決め、広島と長崎に投下した。ちなみに原爆開発を決めたルーズベルト大統領は1945年4月に急死したため、後を引き継いだトルーマン大統領は、原爆計画について知らずに大統領になったそうだ。

原爆を投下された日本は終戦宣言をし、原爆を投下したアメリカはかつてない超大国になった。原爆の父と呼ばれたオッペンハイマーは時の英雄となり大きな影響力を持った。

しかし終戦とは名ばかりで、結果的に新たな戦争「冷戦」が始まり、4年後にはソ連も核実験を成功させた。原爆の開発は縮小どころか水素爆弾の開発へと時代は進んだ。米ソが核兵器で脅し合う中、アメリカでは反共思想が広がり「赤狩り」が行われた。

原爆を生んだオッペンハイマーは水素爆弾の開発に反対した。水爆(核融合)は原爆を起爆剤として、その爆発時の高温高圧で軽い元素に核融合反応を起こさせて放出するエネルギーを利用したもので、原爆(核分裂)の100~1000倍という途轍もない破壊力を持つ。

水爆推進派のストローズやテラー、トルーマンからすれば、水爆反対を訴えるオッペンハイマーの存在が邪魔だった。そこでオッペンハイマーの名誉を潰し、彼の影響力や発言権を弱めようと準備された舞台が1954年のスパイ疑惑の聴聞会だ。左翼的思想を持つ危険者として告発されたオッペンハイマーは徹底的に過去を調査され、共産党との繋がりや女性関係などの恥部も暴かれ、奇行など悪い側面までフォーカスされ言及された。結果、公職追放同然の状態になり、原子力関係データへのアクセス権も失った。

最高峰の知性の集結がもたらしたもの

映画には言わずと知れたアインシュタインやボーア、ファインマンなど名だたる科学者が続々と登場する。実際、原爆開発までにロスアラモス研究所には12万人の科学者や技術者、労働者がつぎ込まれ、ノーベル賞受賞者だけでも21人が開発に関わったという。

映画では科学者の純粋な探究心と、世界を壊しかねない破壊力を開発することへの葛藤など、科学者の悩みも描かれていた。トリニティ実験は、熱核反応の連鎖反応によって大気に引火するかもしれない、つまり地球が吹っ飛ぶかもしれない可能性が計算上では「Near zero」だったが、ほんの僅かでも「地球が破壊する可能性」があったことには変わりない。しかし研究成果を試みたい思いも相まって実験は実施された。

もちろん、知性を総動員して計算に計算を重ねた上での実験だったが、人類の最先端と称される人たちが、あの現場でどのように考え、どんなコメントを残し、どんな働きをしたのかは注目に値する。オッペンハイマーの盟友イジドール・ラビが「物理学300年の歴史の成果が大量破壊兵器だなんて」と悲しげに言ったが、そんな彼も開発に関わっていた。

本来であれば、原子爆弾のような代物を作るべきではない。仮に作ったとしても絶対に使えないよう阻止すべきだ。だが彼らのひとりとしてそうしなかった。宇宙の法則や物理法則を紐解いても人間の精神がこの現在地ならば、物理法則を学ぶ意味そのものが問われるべきではないだろうか。

原子爆弾の開発は、「物質をゼロ化してエネルギー化させる」ことでもある。精神に例えると、エゴ人間の精神を悟らせる(ゼロ化する)ことと等しい。ゆえに物理学者にとって原子爆弾の開発とその成功は歓喜に満ちたものであることは理解できる。がしかし、それを人間に直接使ってしまったことは取り返しのつかない大罪だと言わざるを得ない。

オッペンハイマーは古代インドの聖典『バガヴァッド・ギーター』を引用し「我は死なり、世界の破壊者なり」とクリシュナと自分自身を重ねた発言をした。この言葉は、全ての根源である源泉動き(=純度100%の心)を表現したと解釈できる。またこれは、空海の『秘蔵宝鑰』にある「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」のこととも受け取れる。

nTech(認識技術)ではスクリーン概念を取り入れ、現実世界を「映像スクリーン」と表現している。脳機能に依存した既存の学問は、この現実(=映像スクリーン)が「どこからきたのか(宇宙論:生命)」、「どこへいくのか(人生論:精神)」を解明していない。つまり無明無知で「暗い」状態だ。しかし死の終わりという「スクリーンの外」、つまり現実を生み出す第1原因、純度100%の心の源泉動きそのものになり、心機能を存分に活用することができれば、全てが「冥し=明らかになる」ということだ。

人間活動の出発は「認識」だが、数学者、物理学者など科学者の限界もこの認識にある。彼らももれなく脳機能に依存し、日常の感覚(五感、身体感覚)を基準にした認識を土台にしている。しかし全ての問題は「身体の目で見ること」に起因する。身体の目で見れば「暗」く、何ひとつ分からない。その認識からスタートした学問では永遠に答えに辿り着けない。そんな物理学を学び、その宇宙を学び、その思考体系を学び、その認識を学び続けていいのかという問題提起が日本から起こる必要がある。

もっと言えば科学技術は、原爆や水爆だけでなく、「未来のゴミ」を生産し続け、気候変動を加速させ、貧富の格差を生み、人間の尊厳破壊にとどめを刺すAIまでも生み出して人類滅亡の危機に追い込んだ「破壊のテクノロジー」とも言える。

気候変動の専門家は「タイムリミットは2年」と言っているが、これら人類滅亡の危機を阻止するには、人間活動の出発である「認識」の革命しかない。これは大きな感動を生産しながら気候変動にも貢献でき、貧富の格差や第三次世界大戦にも対応できるものだ。

具体的には、今ここでみる文化を「心で観る」に変えること。食べてみる、聞いてみる、触ってみる、ケンカしてみる、仲直りしてみるなど、「みる行為」は様々あるが、そのなかで、絶対的真理そのものになれる行為が「心で観る」ことだ。認識技術は破壊のエネルギーではなく、純度100%の心による生産のエネルギーをもたらす。一人ひとりが生産手段を持ってクリエイティブ能力を発揮することができる。この生産技術をマスターすれば、人類の未来は明るいものとなることは間違いない。

原子爆弾は戦争を終わらせたのか

ところで「オッペンハイマー」の公式サイトにはこんな表現がある。「一人の天才科学者の創造物は、世界の在り方を変えてしまった。そしてその世界に、私たちは今も生きている」と。まるでオッペンハイマーが開発した原子爆弾が戦争を終わらせたかのような表現だが、果たしてそうだろうか。

私はそうは思わない。第二次世界大戦は原子爆弾という巨大な暴力によってねじ伏せられ、一見すると戦争を終わらせたかのようだが、それは米ソ冷戦のスタートでもあった。そして21世紀になった今もロシア・ウクライナ戦争、パレスチナ・イスラエル戦争など、世界の日常に戦争が溢れている。

それでもなお、核戦争に発展していないのはなぜだろうか。私はこれを「歴史上に類をみない偉大な決断と覚悟の賜物」だとみている。

原子爆弾では戦争を終わらせることはできない。真の終戦、永遠なる終戦宣言をして、その実践をしてきたのは、何を隠そう昭和天皇と日本文明だ。1945年8月15日の昭和天皇の終戦宣言は、「本物の終戦宣言」として記録されるべき人類史上最も偉大な決断と実践である。

日本への原爆投下を哲学的な観点からみると、「日本の精神が強すぎたから」とも言える。日本があまりにも強すぎたが故に、逆に強烈な破壊力を引っ張ってしまったとみることもできるのだ。強すぎるからこそ日本の共同体は、原爆の破壊力を完全に制圧してしまった今がある。

人間の歴史は報復の連鎖だ。だから「あなたたちが核を使ったなら我々も使う」と復讐の負の連鎖が起きるのが常だ。だが原爆に限っては、日本に投下されて以降どこにも使われてない。これは日本による真の終戦の賜物以外の何物でもない。

日本が原爆に対して返したものはオールゼロ化だった。これは日本にしかできないことだ。昭和天皇は原爆による惨状をみて、「原爆が連鎖すれば、日本のみならず世界の滅亡に繋がる。だから日本の対応が大事だ。もし日本が恨み、報復に走れば人類の未来がない」と判断した。

だがその時の日本はまだ十分に戦える余力があった。それにも関わらず天皇は、「終わらせる」という決断をして国民に呼びかけたのだ。日本の国民は「負けた」とは露ほども思えなかったが、天皇の決断に従い黙って銃を下ろした。そしてその後はまるで何事もなかったかのようにアメリカのゲームに協力した。映像スクリーンのなかの主導権はアメリカにとらせ、日本の社会エネルギーは日本を封印して現実で主導権をとろうとしなかった。

このことは完全な終戦であり永遠な終戦を意味する。日本は「人を殺す戦争は二度としない」という本気の決断をした。原爆を投下したアメリカを一切恨まず、全てを水に流して心の奥底から終戦の方向に導いてくれたのは、紛れもなく昭和天皇と日本の人々なのだ。この昭和天皇のとんでもない決断と覚悟を日本の国民一人ひとりがどんな想いで受け入れたのかを想像してみてほしい。天皇のリーダーシップに従う途轍もない勇気に対して日本人がプライドを持てないのなら、何を持ってしてプライドを持てるというのだろうか。

しかし世界は、この昭和天皇の深い心と日本国民の勇気を全く理解していない。それどこか「日本は原子爆弾が怖いから負けを認めたのだろう」と薄っぺらくみるのが一般的だ。そして残念なことに、日本人にもそのように見る人が少なからずいて、「骨抜きにされた」と思う人が多いのも事実だ。しかしこのレベルでは日本の未来も人類の未来もない。

明治維新で培った全てをオールゼロ化し、原爆投下したアメリカを恨まなかった日本をどう理解するのかは重要だ。アメリカの行為は普通の人間なら1年間は寝られなくなるほどのことだ。しかし日本はそれを超えたし、超えさせたのは昭和天皇だ。平和を呼び、平和を招待した昭和天皇のリーダーシップはこの上なく偉大であり、日本人の共同体精神によるフォローシップも偉大だ。このことは近い未来に必ず全世界の人たちに知らせなければならない。

日本がいくべき道とは

世界情勢も相まって、オッペンハイマーの映画だけでなく、核に対しての関心も世界で高まっている。そして、この映画に対しての日本の反応も世界が注目している。

私はこの映画に対して「日本のアンサー」とでも言うべき映画を必ず作るべきだと思い、方々で発信している。

日本は二度と戦争をしないと決断した。だが国の存在目的は戦争にある。では戦争をやらない国家は何のためにあるのか。日本がその道を明確にしなければならない時がきている。

戦後の日本はなぜ沈黙したのか。それは戦争反対や核反対などのアンチテーゼでは戦争は終わらないだけでなく、何も変わらないことを分かっているからだ。そしてこれまでは「日本のゲームをする時」ではなかったこと、日本の出番ではなかったことを分かっていたのだと思う。

精神が強すぎた日本は、強すぎたが故に原爆を投下され、戦争犯罪国家のレッテルを貼られるなど、世界中から誤解され迫害を受けてきた。言い分もあっただろうがグッと堪えて沈黙を保ってきた。

日本は核爆弾を唯一おさめることができる「愛の爆弾」を作る準備が整う時期を粛々と待っていたのだろう。1945年8月15日に日本が出したかったのは愛の爆弾だったはずだ。ただ当時は日本精神(武士道精神)を教育体系化できていなかった。だが今、それが完全学問、完全認識として日本で完成している。知るだけで人間の人格が完成し、自然と戦争不可能な人間になる教育が日本で完成したのだ。

原爆が映像スクリーン内の物質を破壊してエネルギー化するなら、愛の爆弾はエネルギーを破壊して純度100%の心にする。認識技術は心・エネルギー・物質の関係性を今ここ同時に認識させ、いつも今ここ純度100%の心を使えるようにする完全学問、完全認識だ。今ここで宇宙がない状態とある状態が「不二=ひとつ」として理解、説明、統制できる「宇宙のスイッチ(点の秘密)」を明らかにして、今ここ完全認識のベストビーイングで誰もが生きられるようになる。これにより真の個性が完成するが、次はその人たちによる共同体の完成に舵を切ることだ。なぜならこの世はいかに最高の共同体を生み出せるのかの競争でもあるからだ。

知の最先端の数学者や物理学者は核爆弾を生み出し、その使用を反対できずに広島と長崎に使えるようにしてしまった。「身体の目で見る」ことは、核爆弾をつくることを許す認識の出発であり、核爆弾の使用を止められない認識の出発だ。これらのアルファからオメガまでの全てをオールゼロ化するのが日本精神であり日本のミッションでないのなら、日本は何をするのだろう。

原爆を製造するマンハッタン計画から愛の爆弾を製造する日韓宙船プロジェクトへ

私は今、愛の爆弾を製造する「日韓宙船プロジェクト」を仲間と共に進めている。これは唯一の被爆国である日本から、原爆を製造したマンハッタン計画への返答でもある。

核爆弾を作るには条件がある。核分裂可能なのは物質の中でもウラン235とプルトニウム239のみで、さらにある一定量が必要だ。天然ウランには核分裂するウラン235が0.7%しか含まれておらず、残りの約99.3%はウラン238だ。そしてウラン235の核分裂の連鎖反応を継続させるぎりぎりの量(最小臨界量)は金属で22.8kgが必要だ。(ちなみにリトルボーイには純度89%のウラン235が50kg使用された)

天然ウランに含まれるたった0.7%のウラン235が臨界量集まることで核分裂が可能なように、愛の爆弾の製造と愛の爆弾の爆発連鎖を可能にする「ウラン235のような存在」と臨界量が必要になる。

原爆を日本が受け入れたことは、日本という共同体が「物質で言うウランのような存在だから」とも言える。つまり人間のなかの0.7%が日本人であり、その日本の共同体だけが愛の爆弾になる条件が揃っているということだ。

条件を満たすものとしていくつかあるが、そのなかの一つが日本人独特の対象意識だ。「相手にどう思われるか」と他者の反応を気にする対象意識は人間なら誰にもあるが、日本人は群を抜いている。他国は自分軸も育てているが、日本では育たない。その理由も実は「1945年8月15日」にある。

昭和天皇の終戦宣言に日本国民は戸惑った。なぜなら「負けた」とは思えず、実際に負けていなかったからだ。だけど共同体を愛する日本国民はリーダーに従った。日本以外は各々が主義主張ばかりするが、日本は共同体を優先した。個人的には賛同できなくても天皇の決断と覚悟を受け入れ、自分をゼロ化して天皇のリーダーシップに従った。だがこれは「自分には意思決定権がない」ということを決定的にした出来事でもあった。だから日本は自然と他者を優先する。回りに合わせて「皆がするなら、皆が言うなら」と全体の調和を大切にするのだ。

これは一見すると弱点のようにみえるが、「自分、個」が強い自分軸よりも遥かに進化した強みだ。特に核分裂のような爆発の連鎖には力を発揮することになる。というのは、全体の方向性が決まれば、皆が一気に雪崩れ込むからだ。

愛の爆弾の爆発連鎖を起こすには、この「対象意識」が有利に働くが、そのためには「現実=映像スクリーン」と誰もが分かるように、たった1日でデジタル言語を教えられる1000人が必要になる。これがエネルギーを心化する1000人SAMURAIであり、愛の爆弾の臨界量だ。

1000人の臨界量が集まれば本格的に爆発連鎖が始まる。その舞台は2025年に開催予定の大阪EXPOだ。開催を反対する意見が多いが、これは「科学技術をメインにした従来のエキスポでは意味が無い」という心の国・日本の無意識の訴えではないだろうか。だから私はこのエキスポを「日本から始まる心時代の幕開けと愛の爆弾の片鱗をお披露目する絶好の舞台」にすべきだと思い準備を進めている。

エキスポは「エクスポジション(exposition)」のことだが、この文字を解釈すれば「点の外」に出るためにあるのが本来のエキスポだ。「点=スクリーン」とみたときにスクリーンの外に出て、純度100%の心になるためにあると言える。

日韓宙船プロジェクトでは、大阪エキスポ初日は10万人のパレード(原爆レベル)、最終日には30万人のパレード(水爆レベル)と爆発連鎖を起こし、翌2026年には100万人結集の愛の爆弾を完成させようとしている。愛の爆弾は一気に世界中に投下され、エネルギーが心化される連鎖が起きるようになる。すると世界はオセロゲームのように一変し、戦争不可能な人が世界中に溢れるようになるだろう。

数学者の岡潔が1971年度の京都産業大学講義で、「ともかくわたし達日本人には、何が自分だろうと云って、このからだが自分だと思う者はない。ましてこれは映像だと云うことがわかる」と語った記録があるそうだが、私はとても感銘を受けた。やはり日本は心を使う共同体なのだ。だからアメリカを恨まないし戦争犯罪国家にもしない。その深い決断があるから、これまでずっと決断を裏切らずにやり続けた。

2023年8月15日を過ぎた今は、オリジナルジャパン、純度100%の日本の時代が始まっている。だからもう、沈黙を破るときだ。日韓宙船プロジェクト、愛の爆弾で明治維新を完成させる令和維新を興し、世界をひとつにまとめる時が来た。エネルギーを心化させ、目的知、完全知、無為知に到達した日本はすでに教育チャンピオンになっている。だから今、私は「尊厳ロマリアプロジェクト」で日本全国を駆け巡り、それに合わせて尊厳パレードをしている。これは「日本文明、おめでとう!教育チャンピオン、おめでとう!」というお祭りだ。

共同体のモデルは日本しかないことを自覚してほしい。原爆を落とされて、核の連鎖を止めた偉大な共同体、日本。だからこそオッペンハイマーの映画に対する日本からの返答映画を作るべきだ。明るい未来の兆しがどこにもないAI時代に、気候変動時代に、強烈な貧富の格差時代に人類は絶望している。特に未来を担う若者の絶望は深い。日本からの返答の映画は、絶望の淵にいる人類に方向性と希望、未来への道を示すことになる。それができるのが日本のベストビーイング共同体だ。1945年8月15日の日本の決断無くしては今の社会はあり得ない。そんな日本に私は心底感謝をしている。

私は日本の時代を共に創っていきたいと約30年間、そのためだけに走り続けてきた。日本はAI時代の新しい教育を生み、脳の時代から心の時代へと導く教育チャンピオンへと大反転しなければならない。純度100%の日本の時代は始まった。この大事なタイミングを活かして勝負できなければ日本ではない。方向性を失った世界に対して希望のメッセージを発信し、純度100%の心を学ぶには日本に行くしかないという流れを日本からつくることだ。

原爆を投下された日本は愛の爆弾をつくり投下するミッションがある。日常感覚で自分の幸せや成功のために「ただ生きる」のは日本人ではないと私は思う。愛の爆弾によって核爆弾を可能にした学問や哲学、生き方など全てを完全にゼロ化することだ。身体の目で見る行為をゼロ化すること、核爆弾を製造、投下させた認識行為をオールゼロ化することが日本の仕事だ。そして脳機能を完全に理解、説明、統制して心機能を存分に活かした尊厳文明を日本からつくること。愛の爆弾製造までに残された時間は3年だ。マンハッタン計画が3年だったように、日韓宙船プロジェクトによる愛の爆弾を2024~26年につくることだ。

日本よ、今こそ沈黙を破ってメッセージを発信してほしい。一本の映画が歴史を変えることになる。世界を変えたのはオッペンハイマーではなく昭和天皇であることを描いてほしい。世界は核の抑止は核によってではなく、昭和天皇の決断によって護られていたこと、天皇の偉大な決断と覚悟とその決断にゼロになって従った日本のフォローシップとプライド、誇り、自信感を描いてほしい。これは日本文明がつくる映画、あるいは国家プロジェクトとしてでも製作すべきことだ。この映画一本で全世界人類に方向性を知らせる日本、純度100%の心の時代をリードするピースリーダーシップの日本になるだろう。