2022年12月に公開された『ラーゲリより愛を込めて』という映画をご存じだろうか。今回はこの映画のリテラシーを通して日本についてみていきたいと思う。
原作はノンフィクション作家辺見じゅんの『収容所からきた遺書』。主人公・山本幡男さんの妻である山本モジミさんが新聞社に寄せた投書をもとに取材して書き上げたもので、映画のストーリーも概ね史実に基づいているという。
物語は第二次世界大戦後、厳冬のシベリアへ不当に抑留されて絶望の淵にいた日本人の希望の光であり精神的支柱だった山本幡男の半生と彼の家族、仲間たちを描いている。
幡男はロシア文学に心を惹かれ、旧制東京外国語学校でロシア語を学んだ。1936年にモジミら家族と共に満州に渡り南満州鉄道に入社。第二次世界大戦末期の1944年に軍に召集され、配属されたハルビン特務機関ではソ連の新聞や雑誌の翻訳を行った。シベリア抑留は日本の終戦宣言後に行われたものだが、幡男も戦後に攻めてきたソ連兵に抑留され、家族と生き別れてしまう。その際、ハルビン特務機関での行為がスパイ行為とみなされ戦犯となり、重労働20年の刑を下されることとなる。
映画のリテラシーに入る前に、シベリア抑留とは何か、なぜシベリア抑留が起こったのかについて軽く触れておこう。
シベリア抑留は、第二次世界大戦後に武装解除して投降した日本軍捕虜や民間人らが、ソ連によってシベリアなどへ不当に抑留され、木の伐採や鉄道建設などの強制労働を強いられた人的被害のことだ。その数は60万人にも上り、1200か所ものラーゲリ(強制収容所)に送り込まれた。苛烈な強制労働の上にマイナス40度という過酷な寒さと強烈な飢えで約6万人もの命が失われたと言われているが、正式な数字は定かではない。
このソ連の行為は「武装解除した日本兵の家庭への復帰」を保証したポツダム宣言に反している。また、国際法では捕虜収容についての規定があるが、これにも違反している。規定では、収容されている間は人道的かつ「人格と名誉を尊重」した扱いを受けなければならず、宿営や食料、被服、衛生、医療などに関する最低条件も定められている。
ソ連の明らかな違反に対し、外交権を失っていた当時の日本政府は、中立国を通じた非公式な要請しかできなかったが、その要請にもソ連は応じなかった。その後、抑留者の引き上げに関する米ソ交渉が始まり送還が開始されるが引き上げは難航。厳冬期には中断され、1950年にはソ連側が一方的に送還完了を発表した。また朝鮮戦争の勃発も重なり、抑留者問題が後手に回ってしまう。
抑留から10年後の1955年には日ソ国交正常化交渉が始まったが、ソ連側は「捕虜送還と引き換えに北方領土を得る」という人質外交に出る。だが結局、領土問題は棚上げされたまま、翌年10月に日ソ共同宣言が発表され、抑留から11年経ってようやくすべての日本人が送還されることになった。ただ、長期抑留者は北方領土問題に対して日本が譲歩することに強く反対し、自分らの存在が支障にならないようにと嘆願書までだして抵抗したそうだ。
ではなぜこのようなシベリア抑留が起こったのだろうか。ここにはアメリカとソ連の思惑が見え隠れする。
第二次世界大戦前の1941年4月、日本はアメリカと、ソ連はナチスドイツと対立関係にあった。そのため日ソは「互いに侵攻しない」という中立条約を交わした。そして終戦間際の1945年2月、米ソはヤルタ会談で密約を交わす。アメリカは日本側の捨て身の戦いに手を焼いていたためソ連の参戦を望んでいた。そこでソ連参戦の見返りに戦後、千島列島と南樺太のソ連の領有権を認めるとしたのだ。だがスターリンは北海道北部(釧路から留萌市に至る線上)も要求した。これは、スターリンが戦後、アメリカと敵対すると予測していたからである。スターリンは、北海道北部からオホーツク海を制することが、戦後の米ソ関係に大きく影響すると睨んでいたのだ。
一方のアメリカは、元々はソ連の参戦を望んでいたが、北海道北半をソ連が占領する事態は避けたかった。そこで日本に原爆を投下することで日本を早期に降伏させ、ソ連の参戦を阻止しようと目論んだ。
だがソ連は8月9日、日ソ中立条約を一方的に破棄してソ連と満州の国境で一斉に侵攻を開始。11日には南樺太でも日本領への攻撃を始め、8月15日の終戦宣言以降も、南樺太のソ連軍は戦いを止めず、さらに18日には千島列島でも占領作戦を開始。千島列島北端の占守島に上陸し、戦車の砲門を外すなどして武装解除を進めていた日本軍を攻撃した。だがソ連は北海道占領に失敗。ちなみにシベリア抑留の指令は、ソ連の北海道北部占領をアメリカに拒絶された直後に出された。
第二次世界大戦後のソ連は国土が荒廃して労働力が不足していた。また、極東開発も遅れており、復興に人手が足りていなかった。日本の抑留者たちは、この労働力不足を補うために駆り出された。また日露戦争や日本のシベリア出兵(1917年のロシア革命の混乱に乗じた出兵、反革命を支援した)への報復でもあったのではないかとも言われている。
劇中では何度も『愛しのクレメンタイン』が歌われ、そのシーンが印象に残っている人も多いだろう。この曲はアメリカ映画『荒野の決闘』の主題歌としても有名だが、歌詞をみると、その曲調とは裏腹に、悲哀に満ちた歌だとわかる。そして実は日本にピッタリの曲だ。
19世紀のアメリカ西部開拓時代、金鉱脈が発見され、多くの人が金を求めて遠い地へ渡った。歌に登場する男は、ゴールドラッシュで一攫千金の恩恵に預かり、家族を幸せにしてあげたいと願っていた。そんななか、川でアヒルと遊んでいた娘のクレメンタインが増水した川に流されてしまい、男は娘を失ってしまう。それで、「おお、愛する私の娘。年老いた父を置いてどこへ行ってしまったのか」と歌っているのだ。
明治から昭和にかけての日本は「アジアが西洋列強の餌食にならないように」「アジアはアジアで近代化を成し遂げる」と、アジアの夢を掲げ、アジアの未来のために懸命に戦った。
だが蓋を開けてみれば、日本は終戦に追い込まれ、それまで得てきたものを全て失ってしまった。また同時に、アジアの夢や未来への希望も一切合切、失ってしまったのだ。
主人公や家族、仲間が事あるごとに「オー・マイ・ダーリン、オー・マイ・ダーリン」と愛しのクレメンタインを口ずさんでいたのは、一筋の希望もみえない絶望の大海の中でも、もがいて、もがいて、僅かな希望でもいいから発見しようというメッセージではないだろうか。
明治維新の夢を失った日本と、失った娘とを重ね合わせ、これらの絶望を全て受け入れて希望を見出していこうと、歌いながら鼓舞しているように私の目には映った。
人間は何によって生きるのかといえば、それは「希望」だ。ビジョンや夢、期待を食べ、その中心には尊厳がある。だから絶望の環境下でも、どのように希望を発見できるのかは、生きる上で重要な鍵になる。
人間は本来、尊厳そのものの最高に幸せな存在だ。だから、五感の目で見える絶望に悲観し、その環境に合わせ、条件反射しながら「ただ生きる」のは、本来の人間の尊厳ではない。
どんなに厳しい環境だろうが、どれほど汚染された川の水が勢いよく流れ込もうが、それをすべて受け入れ、綺麗さっぱり浄化してしまえる力を持つのが本来の人間の尊厳だと言える。
主人公の山本幡男は、「自分自身をどう思うのか」という自分だけのゲームに勝ったと言える。どんな時も人間としての尊厳と希望を失わず、また、周りにも同様に声をかけ続けた。その幡男の姿は、絶望しか見えなかった仲間たちの心を揺さぶり、「生きてるだけじゃダメなんだ。山本さんのように生きるんだ」と、仲間の目を覚まさせ、行動までも変えてしまった。
この映画の主題は、一言でいうと「未来確信」だ。いかに持続的に未来確信を持つことができるのかを訴えているのだ。
全ての出来事(結果、現実)は、それを生み出す背景がある。その背景が無ければ、この結果にはならないというように、全ては「何等かに依存して」成り立っている。これは宇宙のロゴスともいえるもので、私はこの仕組みをデジタル言語1・5・1で整理している。
幡男は絶望の中でも希望を見出し、未来確信を持てた。ではその背景に何があったのだろうか。私は「日本という非凡な共同体に対する愛と信頼」があったからだとみているが、ではその「愛と信頼」はどのようにして得られたのだろうか。
映画の後半で幡男は病に倒れ、仲間のひとりから遺書を書くように進言される。しかし、ラーゲリ内では文字を遺すこと自体が「スパイ行為」とみなされるため、遺書をそのまま持ち帰ることは不可能だった。
幡男の遺書は死の間際で書かれた。視力も薄れ、寝がえりも困難なほどの激痛の中で書き、ノート15ページ、4500文字もの長文だったそうだが、これが1日で書き上げられたという。その遺書を仲間たちは必死で暗記して暗唱できるまでなったが、書くのも暗記するのも只事ではない。
だが、幡男は、妻・モジミと「必ず帰る」と約束した。この約束を果たすため、「武士に二言なし」という言葉通りに有言実行、ひとたび決断と覚悟を決めたなら、必ず初志貫徹をするという武士道精神を体現したのだ。愛と信頼のもとに幡男と仲間がひとつになってやり切ったことで、妻と子ども達の元には、「幡男そのものになった仲間たち」が現われ、そのメッセージを届けて約束を果たした。ラーゲリでの苦労を共にした仲間への愛と信頼が、「未来に必ず約束を果たしてくれる」という希望に繋がったのだ。
では、決断と覚悟を大事にした初志貫徹の力はどこからくるだろうか。
それは「1つの希望すら持てない絶望の環境下でも希望をみようとする姿勢態度」だ。
では、その姿勢態度がなぜ生まれるのだろうか。それは、過去でも未来でも現在でもなく「今ここ」を大切にし、目の前の人を大切にし、その人に歓喜や希望を与えようとする姿勢態度からくる。「今ここ」しかないことが分かれば、1分1秒も無駄にせず、全てが尊い奇跡として認識できる。
これは人間の尊厳に対する確信から生まれ、その確信は「克己復礼」からくる。克己復礼とは、己の私情や我欲に打克ち、社会の規範や礼儀に適った行いをすることを指す言葉で、英雄や天才とは言えないが、礼儀を反復することで私欲を超えていくという意味だ。
明治の日本は、「日本のため」に戦ったのではなく、日本を超えた「アジアの未来のため」に戦った。刀を手放して「not JAPAN」を選択し、毎瞬、毎瞬、克己復礼をしながら自分を超える努力を重ねた非凡な集団が日本だ。そしてその結果、「戦争犯罪国家」というレッテルを貼られた上に、その状況も受け入れて沈黙し耐えたが、これは日本だからできたことだと言える。
幡男はトルストイやドストエフスキーなどのロシア文学を愛していたが、私にはドストエフスキーの『罪と罰』のメッセージと日本の非凡さとが映画を通して繋がってみえた。
『罪と罰』の主人公の考えは、「人間は凡人と非凡人の二種類に分類される。凡人は従属を好み、人類を増やして生産するためだけにいる。だが非凡人は、現状やルールを破壊して世界を動かし、新しい秩序をつくり、人類を新しい世界に連れていくためにいる真の人間だ。だから非凡人は法律やルールに縛られるのではなく、法律を犯しても構わない。なぜなら、犯した罪以上に人類に貢献することができるなら、それは罪には問われないからだ」というもので、主人公は自分自身を選ばれた非凡人のはずだと思っていた。
日本は戦犯として扱われたが、もし日本が平凡(凡人)だったなら、そのようなことにはならなかっただろう。むしろ日本が「非凡な共同体」だからこそ、戦犯になることも覚悟の上で戦争に挑んだのではないだろうか。たとえ犯人扱いされても、世界を変えるべきタイミングがみえたなら、「犯人になってでも、やるしかない勝負をする」という決断と覚悟ができる日本であり、だからこそ英雄集団と言える。そして、その勝負が実を結べば、罪とみなされたものは、自然と罪ではなくなり、逆に感謝と称賛に変わる。
私が言いたいのは、「日本は罪を犯してもいい、何をしても許される」という過激な思想ではない。戦犯として扱われたとしても、誤解を受けるようなことがあったとしても、その試練を物ともせずに耐え抜き、必要な時に必要な勝負ができる非凡な共同体が日本であり、唯一の世界の希望だということだ。
だが日本はまだ、そのことに気付いていない人が大半だ。日本が自分自身をどう思うのか。もし、「非凡な集団」だと自身を認めることができたなら、間違いなく英雄集団として目覚め、そのポジションを全うするだろう。ぜひ自らの可能性に気づき、未来に対して確信を持ってほしいと切に願う。