AI(人工知能)は想像を絶するスピードで進化している。ソフトバンクグループ創設者の孫正義氏によれば、AIの能力は平均的な人間の能力を既に超えており、次の10年では能力が100万倍、更にその後の10年では1兆倍に増大すると予測する。(参考:https://gamma.app/public/AI1-cjcenzt7fi8h6te?mode=doc)今でも人間の能力を超えているなら、10年後には人間の脳機能の100万倍、20年後には1兆倍に進化したAIが登場するということだ。
これは誰にとっても未知の領域だ。人間は地球を所有物にように好き勝手してきたが、これからはそうはいかない。アリの考えや行動を気にしながら生きる人間がいないように、AIにとって人間は「取るに足らないアリのような存在」になる。現時点ですら「AIのフェイクが見抜けない」「AIに仕事を奪われる」などと翻弄され、開発者でさえ「開発を止めろ」と警告を出す始末だ。ならば今より1兆倍進化したAIに人間が太刀打ちできるはずがない。このような中「進化したAIと人類が共存して楽しむ道は残されているのか」と未知の恐怖におののく人は少なからずいるはずだ。
夢や理想の形は違えども、誰もが自分なりの理想の生き方があるだろう。しかし理想を実現する人はほんの一握り。大半は具現化する道のりで大小様々な障害にぶつかり、思った通りにならず挫けてしまう。なかでも深刻な障害は、実は自分の内部にあり、これが大きなウェイトを占める。意志の弱さや能力不足、不甲斐なさなど、自身の在り方、思い方、やり方に傷つき、挫折する。あるいは人とぶつかり、誤解し誤解されるなど、他者との関係構築に傷つくことも日常茶飯事だ。このような障害が人生の至る所で起こるため、自己や他者への否定が止まらず、より一層、心の傷が深くなってしまうのだ。
理想の人生を具現化するために度々迷うのは「自分が好きなことをやるべきか。もしくは、他者が喜ぶことをやるべきか」だ。しかし結局どちらも選びきれず、どう生きればいいのかに答えを出せないまま、時間だけが過ぎてしまう。人類は「人間とは」「生きるとは」などの整理整頓を後回しにしてきたが、そんな中でとうとう、人間の脳機能の1兆倍のAIが活躍する時代になってしまい、「人間は無用者に転落して集団自殺の道を歩むのでは…」と考えざるを得ないほど、人間の存在意義が問われるようになっている。
人類の集団自殺を示唆する危機的要因はAI以外にもある。国連事務総長が「地球沸騰化の時代が来た」と発言するほど、熱波や豪雨などの気候変動は尋常ではなく、地球に住めなくなるのも時間の問題だ。ロシアウクライナ戦争は、核戦争や第3次世界大戦の引き金を引きかねない。また相次ぐ通り魔事件など、精神面でも世界的に危機的状況で、自分や人類の未来に希望を持つのは非常に困難だ。だからこそ今まで以上に「このような時代に何のためにどう生きればいいのか」「意味や価値がある人生をどうすれば過ごせるのか」と多くの人が頭を抱え苦しんでいるのだ。
人間の活動は、「仕事」「レジャー(遊び)」「愛」「人との連帯」の4つに分類でき、さらに「生存活動」「自我実現活動」に大別できる。生存活動は脳が働き、成功を求める活動、自我実現活動は心が働き、幸せを追求する活動だ。
また、生存活動は相手(他者)や、自分が属する組織、他の組織があるので「関係構築ゲーム」ともいえる。対する自我実現活動は、自分一人だけのゲームだ。
本来なら「自分だけのゲーム」を制することが先決だ。自分だけのゲームを制すれば、自分や人間が好きで堪らなくなり、今ここが楽しくて堪らなくなり、ひとりでも満たされるようになる。その状態になってから、関係構築ゲームに向かうのが筋だが、「自分だけのゲーム」の勝利は簡単ではないし、大半の人はそのゲームに挑み、勝利する必要性すら感じていない。
しかし、自分だけのゲームに勝利していなければ「満たされない不足分」を他者との関係性で補おうとする。でも、考えてみてほしい。自分だけのゲームに勝利していないのだから、関係性のゲームにも失敗するのは当たり前だ。こうして関係性は失敗続きで挫折して傷つき、孤独が蔓延しているのが今の時代だ。
ところで、「人間とは何か」という問いは人文学的なアプローチだが、この問いは「人間は何で出来ているのか」という科学的なアプローチにも置き換えられる。科学では「点がビッグバンして宇宙が誕生した」と主張するが、では「その点がどこから来たのか」と問えば、それは未だ不明だ。
この人間の本質的な問いを一発で整理する道はあるだろうか。知識総量が3日で2倍になると言われるほど、複雑かつ情報過多で、未来予測が不可能なVUCA時代は、これまでのように本質的な問いに答えを出せず、情報知識を整理整頓できなければ、ますます心の平和は得られない。
心の平和をベースに、正確な意思決定が伴った実践行動力ある人間力が得られ、人間力のベースで多くの賛同者や仲間、友人をつくるチームプレー能力、すなわち人間関係力を得ることができる。そして人間力と人間関係力を同時に得ることで、人間最高の機能である「尊厳機能」を無限に発揮した生き方が可能になる。この道こそが今の時代を生きる80億人が求める道ではないだろうか。
問題は「多様な問題を発生させている根本原因」を探さずに放置してきたことだ。この状態では「人間とは何か」「人生とは何なのか?」「いい人生を具現化するにはどうすればいいのか?」などに答えを出すこともできず、当然、情報の整理や心の平和、問題の一掃もできない。
現実は次から次へと問題が生じる。アインシュタインの言葉に「いかなる問題も、それが発生したのと同じ次元で解決することはできない」とあるように、現実を起点に考えを巡らせ、答えを探しても、本物の答えは生まれない。現実から出発する思考は「帰納論証」とも言い換えられるが、この思考方式は「始まり終わり」「原因と結果」があり、人間はずっとこの思考方式をとってきた。だが、これはAIが最も得意とする分野だ。つまり人間がここに留まれば、答えが導けないだけでなく、AIにも完敗するということだ。特に今のような八方塞がりのアポリア時代、物質文明の末期癌時代には、帰納論証とは次元の違う「演繹論証」が早急に求められる。演繹論証は「始まりも終わりもない」ところから全てを整理するため、何一つ矛盾なく整理でき、驚くほどあっさりと問題解決の道がみえてくる。
では、人間を帰納論証に走らせ、80億人が求める道を発見困難にさせてきたものの正体は何だろうか。
あなたは「脳とは?」「心とは?」と問われたら何と答えるだろうか。常に使っているものなのに、明確に答えられないのではないだろうか。実は脳科学者も心理学者も、誰でさえ「脳と心」について明確に規定できていない。
人類は脳機能と心機能を規定できないまま、ずっと「脳機能に心機能が完全に制圧」されてきた。これは脳機能と心機能の分離、分解、蒸留ができず、両者を混濁して使うことから起きる現象だ。車のアクセル(心)とブレーキ(脳)を同時に踏む馬鹿馬鹿しさはイメージすれば簡単に分かるが、そのようなことを寝ても覚めても、もっといえば「肉体が死んでも」やり続けているのが人間だ。
脳と心が分けられなければ、脳の観点の問題や判断基準の問題は分からない。分からないだけでなく無自覚に観点に捕まれ、縛られて、道がみえなくなっている。この観点の問題に気づき、観点の外に出ることは、人類の最優先課題であり、人生を楽しむための中心道具を得るための第1関門だ。
人間は時間を存在させているが、実は時間も空間も存在も存在しない。脳の観点に束縛されれば、過去・現在・未来という時間軸が発生するが、脳が一切働かなければ、実在するのは「今ここ」だけだ。
「今ここ」は全ての出発点、全ての源泉だ。最も短く速い世界であり、同時に最も長く永遠な世界。最も浅くて深く、最小であり最大の世界。一番速いスピードの動きで、何ものにも依存せずに自ら存在する。どこにも囚われず、どこにも留まらない。始まりも終わりもないから過去、現在、未来もない。
この「今ここ」は、これまで神、仏、道(タオ)など、いろんな表現をされてきた絶対世界の別名だ。宗教的な神の概念より9千兆倍も凄すぎるから、人間の脳ではイメージできない。当然、脳が一切関与できない純度100%の心だから、イメージできないということでもある。この「今ここ」はBest Beingを可能にする。いつも「今ここ」に自分の心を置いておくことで、Best Being、To Live Best な生き方ができるのだ。
どんなにリアルな夢をみて、夢の中で冒険をしたり、笑ったり怒ったりしても、目覚めれば「夢の中の出来事=自分の人生」とは思わない。現実もそれと同じようなものだ。つまり、人間はまだ始まっていない。「現実=夢」と言ってもにわかに受け入れがたいだろうが、脳の観点に捕まっていることは錯覚の中、夢の中と同じことだ。現実という夢から目覚めるには、脳と心を分離、分解、蒸留して脳に完全に勝利し、「今ここ」に自分の心を置いておくこと。これでようやく心人間として量子跳躍(Quantum Jump/Quantum Leaps)し、人間が始まるのだ。
寿命が3日の精子は、出会うべき出会いが起きた時、100年も生きられる人間へとクオンタムジャンプする。人類はずっと脳に支配され、鬱、自殺、殺人、戦争の歴史を繰り返したが、脳機能の1兆倍のAIが出現する時代の今は、脳が一切働かない「今ここ」にいつも自分の心を置き、「今ここ」から現実を認識するトレーニングが必要だ。
映画館に行けば、映像が表示される状態(映像スクリーン)と映像が映し出される白いスクリーン(バックスクリーン)がある。パソコンで例えれば、モニターに表示される状態(映像スクリーン)と映像スクリーンを映し出すバックスクリーンの構造(半導体や集積回路、プログラミングなど)がある。同様に私たちが「現実」とするものは映像スクリーンで、その裏にはエネルギーのアルゴリズムというバックスクリーンの構造がある。
「今ここ」は、映像スクリーン、バックスクリーンの外だ。スクリーンの外からバックスクリーンの構造である宇宙自然、歴史文明を成り立たせるエネルギー量子場の仕組みをみて、その結果物の映像スクリーン(現実画面)をみる習慣をつけること。この認識を可能にする技術がデジタル認識技術、nTechだ。「今ここ」からエネルギーのアルゴリズム(1・5・1)でみて、そのアルゴリズムの結果物の映像スクリーンをみる。脳の観点では「存在が(S/主語)動く(V/述語)」と、アナログ言語を用いて「存在が存在するのが当たり前」から出発して認識していたが(存在当たり前感覚)、「今ここ」からみるデジタル言語(1・5・1)は、「動きが存在させる」というように、全てを動きで認識する。これは脳の因果論理を超えたビヨンドロジック、トランスロジックで物事を考えるということであり、これはAIが唯一真似できないことだ。
この状態が「自分だけのゲーム」に勝利した状態だ。「今ここ」で究極の理想を具現化して全て満たされている。この状態で「相手があるゲーム」をすれば、心にゆとりがあり、愛を配ることができる。ロゴス、パトス、エトスがひとつになった在り方から、周りの人たちが脳の観点の奴隷にならないよう、観点の外からモノゴトをみる人を次々と輩出する勝負をする。これが「今ここ」Best Beingの存在であり、To Live Best な勝負の仕方だと言える。
「今ここ」が分かっているのか、「今ここ」をやっているのか、「今ここ」に成っているのか、充分に成っているのか、永遠に成っているのか。「今ここ」だけが実在する。そうであれば、その状態で誰もが生きる時代を作るのが尊厳祭であり、歓喜が大爆発する祭だ。それをJei祭と名付けて2023年8月からスタートした。
「今ここ」の別名は「0=∞=1」でもある。「観点が0、観点が無限大、観点が1」と、これらが全てイコールになり、観点がどこかに固定されるのではなく、いつでも観点が自由自在になる観点の健康状態だ。これを数学で表現すると、実数(R)と虚数(i)を生み出す「復元数(J)」とし、数学に心を入れて数学を完成させることに成功した。つまり、純度100%の心の動きを数字で表現すれば、0=∞=1の「J」となり、アナログ言語と比較したデジタル言語で表現すれば、1・5・1になる。
みんながこのJ(「今ここ」純度100%の心)そのものになって、人間を楽しもう!としてスタートしたのが、JeiGrid主催のJei祭だ(https://jeigrid.co.jp/jeisai/ )。
Jeiは以下の3つの頭文字で成り立っている。
J (0=∞=1):心、絶対尊厳、「今ここ」
Edutainment:教育エンターテイメント(Education+Economic+Entertainment)
Innovations:持続的革新の連鎖
Jei祭は、軍事戦争、経済戦争ではなく、祭りでワンワールドにしていくムーブメントとして毎年8月に開かれる。2023年はその出発で大阪、福岡、東京と三都市を駆け巡る。
8月は日本にとって特別な月だ。そして今後は人類にとっても特別な月になるだろう。
日本は世界で唯一、原子爆弾を投下された国だ。8月6日は広島に、9日には長崎に投下され、15日には天皇の終戦宣言によって終戦を迎えた。
日本はなぜこの道を選んだのか。それは、日本が報復に走れば人類が滅亡することを悟ったからだ。だからこそ「命を奪い合う戦争は二度とやらない、報復による負の連鎖を止める」と心を決め、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、原爆を投下したアメリカに恨み言を一切言わず、アメリカ主導の世界秩序に協力してモノづくりに励んだ。あの日本の英断がなければ、核の連鎖が起きて、とうの昔に人類は滅亡していたかもしれない。
しかしあの英断から77年が経っても、人類は脳に捕まれ、集団自殺の道を歩もうとしている。心機能が脳機能に完璧に統制されているままでは、争いの歴史に終止符を打つことはできないからだ。
日本は命より大事にした刀を手放し、not JAPANの道を歩んだ。1868年の明治維新から1945年8月15日までは集団武士道男性性の77年(正)、そして1945年8月15日から1946年8月14日までの1年のスキマを経て、1946年8月15日から2023年8月14日までは集団武士道女性性の77年(反)を過ごした。このnot JAPANの155年を通過した日本は、正反合の「合」の日本にクオンタムジャンプするタイミングだ。
刀を手放した日本は、新たに「デジタル言語1・5・1」という「真理の刀」を得た。だからもう、純度100%の日本の時代を始めるときだ。その勝負が始まる日が2023年8月15日。その日がある8月にやるのが、日本の純度100%の心の意志を、80億人が共有共感できるJei祭だ。
コロナパンデミックで人類は基準点の喪失を確認した。文明の方向性の喪失、マニュアルの喪失が明らかになり、さらにChatGPTまで登場して、人類がどうあるべきかを徹底的に考えさせるようになった。
AI時代にはwell beingは通用しない。well beingは脳に支配された生き方で、妥協しているに過ぎない。
本当に楽しくて意味価値がある人生を過ごすには「今ここ」を大事にする「今ここ」Best Beingだ。神の動きを道具化して、神を自在に活用、応用できるように言語化し、いつも心が満たされ好奇心、歓喜が大爆発!なんでも楽しみ、遊び感覚、祭り感覚、ゲーム感覚になる。相手がない自分だけのゲームに完全に勝利した心人間が、相手がある関係構築ゲームにおいて、心の底から繋がってチームプレーを楽しみ、祭りをするのがBest Beingだ。
日本語には方を付ける(決着をつける)、片づける(掃除、一掃する)という言葉がある。どちらも語源は同じで、方、片という不完全なものをまとめるという意味から来たのだそうだ。
存在当たり前感覚で、始まりと終わりが無限にある時間の内側(脳の世界)に方を付ける。
その方は、存在不可能感覚で、始まり終わりがない「今ここ」(純度100%の心)だ。その時、方を付けて片付けが起き、遊び、祭り、ゲーム感覚に自然と移行するのだ。
「今ここ」に全てを解かし、「今ここ」からすべてを発信する純度100%の心の時代を日本から始めよう。方を付けて脳による争いのゲームに決着をつけ、2023年8月15日は純度100%の心の日本として産声を上げ、世界80億人を巻き込む祭りをしよう。