2019.09.08 令和哲学シリーズ

【令和哲学23】AI時代、哲学の最大の難題である「決定論」と「自由意志論」を融合する令和哲学

人間は果たして、「選択する」という自由意志を持っているのでしょうか?
また、「解析する」という自由意志はどうでしょうか?

そして、未来はすでに決定しているのでしょうか?

未来はすでに決定しているという「決定論」と、未来は自由に決められるという「自由意志論」の矛盾は、哲学の難題のひとつでもあります。

まず、「人間の未来はすでに決定している」という決定論の観点からみてみましょう。

因果的決定論は、「絶対的に時間は実在している」という大前提のもとに論理展開をしています。
過去の事件が「原因」となって今の現実という「結果」が生まれ、また今の現実の行為が「原因」となって、未来という「結果」が決定する、という具合です。

これよりも広義の決定論としては、信仰による決定論があります。
これは、「神の計画において、未来が決定している」というものです。

また、アルベルト・アインシュタインの相対性理論からみた決定論(論理的決定論、実験による決定論)もあります。
これは、過去・現在・未来は互いに相対的なもので、因果法則によって連結した相対的な事件であり、因果法則によって決定された事件である、というものです。

空間を開いてみた時、最も遠くの外側には源泉的なひとつの動きだけがあり、その内側にはエネルギーの動きがあります。
そのさらに内側にあるのは、遠い昔に起こった出来事の動きです。

例えば今、「あ」と声に出してしゃべったとしたら、その声の振動はどんどんと外側へ広がりながら、遠くへと移動をし、今から100億年後にも移動し続けるのです。
同様に、宇宙空間でこれまでに起きたことすべてが、今も振動しながら広がり続けています。

事実は、今ここに過去・現在・未来がすべて同時にあり、オリジナルマインド(本来の心)の中にすべてがあるのです。

しかし、「どんな観点でみるのか」によって、時間・空間・存在のすべてが決まり、相対的に変化します。

つまり、どんな観点でみるのかによって、過去・現在・未来が同時にあるようにもなり、時間がない世界にもなり、また、時間が生まれる仕組みもあったり、過去・現在・未来の時間もあるようにもなったり、と相対的に決まるのです。
このことは、宇宙の輻射ふくしゃ(radiation)波動という物理の因果法則によって確認できます。

さらに、人間は意識で行動するのではなく、「行動してから、その行動に対して意味づけ、価値づけをしている」という実験データもあるため、「だから未来は決定論である」という主張もあります。

もし、「決定論」だけだとすれば、こんな問題がおこります。
例えば、殺人を犯した人がいるとしましょう。
その殺人者に対して「殺人罪の責任を取れ」と言えるでしょうか。

「殺人は、自分の自由意志とは関係なく、すでに決定していたことだ。だから責任を取る必要がない」と言われたら、責任を取れとは言えなくなってしまいます。

決定論ではなく「人間は自由意志の存在だ」と主義主張する人もいます。
人間が自由意志を持つことは、論理で立証するものではなく直感でわかるものだ、という主張です。

例えば、今この瞬間に、私が水を飲むのか、コーラを飲むのか、どちらを選ぶのかは自由意志選択であり、証明がいらない世界である、というようにです。

近代哲学の祖として知られるルネ・デカルト(Rene Descartes)は、「我思う、ゆえに我あり(Cogito ergo sum)」と提唱しました。
これは、「人間の精神は脳から独立しているため、脳の因果を超える自由意志がある」そして、「脳は因果法則で動くものであるが、人間の精神自体は自由意志を持っている」、ということです。

例えば、太平洋戦争を終わらせたのは、昭和天皇の自由意志だと言えます。
戦争を終わらせることも、続けることも自由意志で決められました。

もし、これが「決定論だ」というのであれば、「決定論であること」を証明しなければなりません。
仮に、0.00001%でも因果法則を超えた自由意志があるならば、決定論は成り立たず、潰されてしまいます。

これまで語ってきた「決定論と自由意志論をどのように整理するのか」は、AI時代を迎えた今の時代の命題である「脳と心の関係をどう整理するのか」において、一番重要なテーマです。

今回の令和シリーズ23では、「決定論と自由意志論をnTechエヌテックではどのように融合していくのか」について語ってみたいと思います。

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ところであなたは、「思った通りに行動ができている」でしょうか?
もし、できていないのであれば、“生き方の手術”が必要です。

では一体なぜ、生き方の手術が必要なのでしょうか?

脳と心をみたときに、心は常に脳に負け続けています。
しかし、生き方の手術をすれば、心が脳に勝ち、永遠に脳に勝利する心の時代をつくれるのです。

では、「心が脳に負けている」とはどういうことでしょうか?

人間は、誰もが脳を持って生まれ、生まれた瞬間から自分の脳の観点に縛られ固定されています。
脳はVR(バーチャル・リアリティー/仮想現実)のゴーグルのようなものだと思えばわかりやすいでしょう。

その脳の認識のクセによって生み出した認識画面は、実はVRなのですが、それを「現実だ、リアルだ」と、私たち人間は思い込みます。
さらに、VRの中のアバターを「自分」だと思い込み、まるで機械のように条件反射(1対1の対称性)を繰り返しています。

つまり、思い込みの主体として生き、条件反射による行動しかできないのが、今までの人間の生き方なのです。

ですから人間は、「思った通りに生活や行動をする存在」ではありません。
もし、それができているのであれば、釈迦やジーザスのような聖人君子になっているでしょうし、間違いなくお金持ちになっているはずです。

思った通りに生活や行動ができない代わりに、人間がしたのは、「行動した通りに思う」ということです。
そうすることで、人間は自らの生活や行動を正当化してきたのです。
心が脳に負けてしまっているので、それを補うために、自らを正当化するのです。

例えば、痩せようとして食事を10分の1に減らしたけれど、結局今までの癖や習慣によって、3日も続かずに元に戻ってしまう。
健康のために食事を減らすよりは、運動の方がいいんだと、食べることを正当化してしまうといったようなことです。

このように人間は、行動した通りに思い、自らを正当化するという思考論理展開をし、思い込みの習慣をずっと繰り返してきました。

実はこのことが、あらゆる問題を引き起こす要因になっています。
それは一体どういうことでしょうか?

それは、常にこのような思考論理を展開すれば、脳神経シナプスの回路が固定されていくからです。
そうしていつも、「できない・足りない・わからない」というシミュレーションを繰り返し、何に対しても「No!」と、顔は笑顔だったとしても、内心は否定的な態度をとるようになるのです。

これでは、感情に振り回され、エネルギーは淀み、血液はドロドロになって流れにくくなります。
その結果、次第に身体の臓器のあちこちで炎症が起きてしまうようになるので、年齢を重ねるほどに自然と病気になるのです。

鬱や自殺が増えることや、殺人や戦争が未だに終わらないのも、このことが起因しています。

誰もが、「できない・足りない・わからない」と常に不足感をもち、その「×」状態を「〇」状態にさせようとする変化を懸命にやり続けるのですが、これでは「×」が満たされることは永遠にないどころか、どれだけ得たとしても、「できない・足りない・わからない」ことは増える一方です。

この決定論の海の中で、決定される魚として生きているのが人間の実態です。

人間は自己決定権を持たず、激しく変化する環境や状況に忙しく反応しながら、日々、目先に振り回されて気が休まることがありません。

根底には常に、不信や不安、恐怖、諦め、挫折、焦り、無気力、やるせなさを抱え、日常にマンネリを感じ、スッキリとワクワクした心になることは永遠に不可能です。
そうして、愛したいけど愛せない、信じたいけど信じられない、希望を持ちたいけど希望を持てない、という状態が続くのです。

現代はこの人間の実態に加えて、情報知識の洪水と激しい時代の変化に翻弄されながら、AI(人工知能)までも登場する時代になりました。
人間と比べられない情報処理スピードを持つAIと競争するしかない人間に待っているのは悲惨な未来です。

必要とされることがない「無用者階級」が量産されれば、人間のアイデンティティの危機や尊厳の危機から逃れることはできず、そのときは刻一刻と迫っています。

この時代的危機、文明的危機を突破するためには、英雄集団の登場が必要不可欠です。
そしてこの危機をチャンスに大反転させる唯一無二の英雄集団は日本しかない、と私は思っています。

機械的条件反射しかできない行動と思考感情を、自由意志によって自由自在に統制するためには、自分の生活行動を正当化する論理展開ではなく、行動を生まれるようにさせる「意味の場」、つまり「エネルギーのアルゴリズム」を変えなければなりません。
そのためには、源泉的な動き「1」、ひとつだけがある世界“0=∞=1”から、アルゴリズムの変化をつくる必要があります。

その「1」から考え、「1」で生きる“Of the 1、By the 1、For the 1”が決定論と自由意志論の融合であり、行動した通りに思うことと思った通りに行動できるようになることが一致する、唯一の方法なのです。

そうな
ると、脳に勝利した心、機械化されない心のパーセンテージが、日常生活において99.3%,になります。
残りの0.7%が機械化された心となるので、これまでの人間の生き方とは、パーセンテージが逆転します。

ちなみに、0.7%の機械化された心の中では、99.9%がエネルギーで、0.1%は物質の動きのイメージが働きます。

1日の生活が、このような状態に変わることが令和感覚、令和状態なのです。

これは、源泉的な動き「1」からすべてを洞察する今ここ完全観察システムが働いている状態であり、神の見えざる目が働いている状態であるとnTechエヌテックでは言っています。

脳に勝てる心をつくる技術、決定論を楽しむ自由意志論を可能にする技術、マイナス決定システムからプラス決定システムに変える技術、エントロピー無限大の状態からエントロピーゼロ状態に戻す技術、SNS3.0バージョンである精神セルを誕生させる技術など、いろんな表現ができますが、これらを可能にする新技術が、英雄集団・日本が活用するメジャー技術になると私は確信しています。

今、全地球レベルの75億人の協力体制を得るためには、革命的な教育プロジェクトが必要です。
残念なことに、宗教や科学は、真理を日常で活用、応用する教育を放棄してしまいました。

英雄集団・日本は、彼らが放棄した「真理を日常で使う教育、美学の教育」をすべきです。
そして、日本人の侘び寂びといった美的意識を一般常識化させるといった大胆な発想や公明正大なビジョン、荘厳な挑戦、雄壮で熾烈しれつな勝負、神秘神聖で偉大な日常生活を起こすべきだと思うのです。

日本は、この時代の危機を解決するための準備をしてきました。
過去を切って明治維新をおこし、アジアの近代化や人種の格差をなくすことに挑むなど、様々なチャレンジをしました。

その中で原爆を2つも投下され、天皇の人間宣言や、東京裁判で戦争犯罪国家として決めつけられるなどの屈辱も受けました。
そして再び過去を切り、今度は物づくりに励んでMade in Japanで経済大国に上り詰めようとする最中、プラザ合意によってバブルが崩壊し、結果的に核爆弾を20発以上も投下されたような大打撃をバブル爆弾によって受けました。

このように幾度となく肉を斬らせながら、この時代の危機を大反転させるという「骨を断つ勝負」を準備してきたのです。

そして令和ののぼりが立った“今”が、その勝負の時です。
今こそ世界を大統合に向かわせる偉大で神聖な勝負、その香り高い英雄集団精神にスイッチを入れるときです。
これが令和維新であり、日本の道であると私は思うのです。

今ここ、完全観察システム、神の見えざる目をつけるシステムであるnTechエヌテックが、日本の令和維新に貢献できたら幸いです。