こんにちは、Noh Jesuオフィシャルブログ編集部です。
シリーズでお届けしております「サピエンス全史、ホモ・デウスから観る、人類の今までとこれから」は今回が2回目になります。
今回も書籍の中の重要なポイントや、書籍には書かれていないnTech(認識技術)ならではの解析を織り交ぜてお話しを伺います。
前回のテーマは「ホモサピエンスは、どのようにして地球を征服する覇者となったのか?」でした。
サピエンスが地球を征服するきっかけとなった認知革命と、その鍵になる「虚構」の全体像と本質についてお話しいただきました。
nTechでは、人間の脳がイメージ可能な世界すべてを虚構として捉えています。
その虚構をこえた真実の世界であるイメージ不可能・認識不可能・感じることも不可能なひとつの動きだけがある世界、すなわち無知の完全性によってすべての虚構から自由になり、これまでのすべての虚構を大統合できる技術がnTechだといえます。
真実の世界からすべての虚構が生まれる仕組みを明確に説明できるこのnTechの誕生は、宗教・哲学・科学などのあらゆる知識の根底がくつがえされる歴史的大事件である、と私は感じました。
今回は「ホモサピエンスは地球を征服した後、どのような統合秩序システムをつくり、維持したのか?」現代までのサピエンスの歴史についてお話を伺います。
虚構を共有することで見知らぬ人たちでも結びつくことが可能になり、より大きな集団を形成できるようになりました。
お互いに結集することにより、自然や動物から身を守り、隣の集団にも勝てるようになったのです。
狩猟採集の生活から定住生活に変わることで農耕が始まりました。
一人ひとりの感覚や判断基準は違いますから、社会の規模が大きくなることで、社会を統合するための虚構も拡大したのでしょうか?
まず始めに登場したのが宗教です。
神の創造目的に従って人間の存在目的、生きる目的が決定される目的論的なForの知識によって、一人ひとりの判断基準の違いや感覚の違いをこえた超人的な秩序をつくりました。
神の前では、経験体験によって得た知識や判断基準などは必要とされませんでした。
科学革命以前のサピエンスは、古典的な実在論のもとで、神によって世界は完成され、人間はすでに真理を知っていると思っていました。
しかし、コロンブスの新大陸発見を通して「私たちは何も知らない」という人間の無知に気がつきました。
神によって創造された目的論的なForの知識から、機械的条件反射で成り立っている客観的宇宙の部分と部分の関係を人間の理性で理解できるという、関係論的なByの知識へと変わったのです。
モダニズム(近代主義)は客観的な物理の宇宙が一つだけあることを前提にして、客観性、普遍性、一貫性、完全性、すべての人間を支配できる一つの理念、客観的真実、真理の絶対性、科学的真理を築こうとしました。そして、宗教改革やルネサンスが起こり社会に大きな変化をもたらしました。
科学革命の前と後では、社会にはどのような違いが生まれたのですか?
科学が登場した、部分と部分の関係を人間の理性で理解をしようとする関係論的な社会では、世界から人間が認識主体として分離し、認識主体の人間と認識対象の環境というまったく新しい観察方式・理解方式・思考方式・認識方式に変わりました。
主導権が神から人間に、抽象的世界から具体的世界に、神の概念から力の概念に移動しました。
科学革命以前は、神によって創造された目的論的な世界だと思っていたため、進歩という発想はなく過去の栄光や権威に従う変化の穏やかな社会でした。
科学革命以降は、それまで解決できないと思っていた問題を科学が解決し始めると、新しい知識を応用すればどんな問題でも解決できるという未来の可能性を確信するようになり、進歩思想がうまれました。
そこから帝国や資本主義が誕生したのでしょうか?
サピエンスは、結集することによって動物や他の集団にも負けないようになりました。
結集する道具として、虚構を進化させてきたのです。
神の目的論による宗教という虚構を誕生させ、100万人をこえる人間を結集させられるようになりましたが、宗教の教祖や神を代身する王の独裁や、不平等の問題が起きるようになりました。
その不平等の問題を解決するために生まれたのが民主主義です。
民主主義はリーダーの権限に制限を持たせ、誰もがリーダーになれるようにしました。
民主主義と、「もう奴隷としての生き方ではなく、あなたも王のように自由に生きられる」という自由主義、個人主義が、帝国主義となりました。
しかし、選挙によってリーダーや政権が次々と変わってしまえば、不連続の問題が起きてしまいます。
その問題を解決したのが、自由市場を土台にした資本主義貨幣システムです。
政権が変わっても市場に任せれば、「神の見えざる手」によって秩序が保たれるとし、自由市場を土台にした資本主義貨幣システムが発達しました。
これは新しい強烈な虚構の誕生です。
貨幣は言語や国家の法律、文化や宗教、性別、年齢の間の溝も埋めてくれるのです。
貨幣は、神が与えた法則ではなく、虚構によって成り立つ相互信頼システムなのですね。
貨幣システムだけでは、分離を超えて、サピエンスがお互い愛し合える完全な人間関係をつくることができません。
貨幣システムの弱点を補うもう一つの相互信頼システムの登場が必要不可欠なのです。
これまで人間は観察の結果であるアウトプットの開発開拓をしてきました。
イメージ可能な虚構の世界を開発開拓してきたアウトプットの開発開拓は、AIができるようになります。
AIが真似できない領域である、人間の脳のレベルでは(すなわち旧い言語、体感覚では)イメージ不可能・認識不可能・感じることも不可能な真実の世界を応用活用するインプットの開発開拓、すなわち世界の根源・宇宙の根源から物事を観察することが、今ここ完全観察システムなのです。
その弱点は、「神の見えざる目」である今ここ完全観察システムによって補えるのです。
例えば、「神の見えざる手」が1m単位で物々交換をするものであれば、「神の見えざる目」は1㎝単位で情報知識商品を生産し、循環させることができるようになります。
市場に「神の見えざる目」が入ることで、より疎通交流が活発になり豊かになり、市場はますます賢くなるでしょう。
神の見えざる目がもつ用途・機能をもう少し具体的に表現するとどうなりますか?
脳波と重力波の秘密が明らかになれば、今の時代では絶対に不可能だと思ったことが可能になります。
例えば、未来はテレパシーが可能になると思います。そうなれば、人類は戦争が不可能な状態となり、人間関係の摩擦や衝突、うつや自殺がなくなるでしょう。
また、人間と動物や植物もある程度のレベルで疎通交流ができるようになるでしょうし、戦争の道具がマーケットから消え、市場の浄化もおきるようになるでしょう。
人間のホルモンの分泌が無意識レベルで戦争から愛のホルモンへと変わることで、漠然とした不安や恐怖・不信・諦め・挫折が、安心・安定・信頼・無限のやる気・自信感に変わり、簡単に集中没入が身につく健康な心になります。
また、知能の進化発達にとどまらず、感情の進化発展がおきることで、常に不足から出発する欲求レベルから、今ここが完全に満たされている状態で現実を創造する欲望レベルに変わります。
そうなれば人間の感情は猛スピードで進化発展し、誰もが今ここの神秘神聖を感じ表現できる、詩人の社会になると思います。
詳しくは令和シリーズ14でお話ししていますので参考にしてください。
しかし2度の世界大戦を通して、「真理なんかない」という絶望が人々の間に広がり、客観的真理など実在しないというポストモダニズム(脱近代主義)が潮流になったのです。
ポストモダニズムになれば、固定不変の真理、人類普遍の価値は否定され、多様性・多元性・複雑性・差別性・脱中心的になり、すべてが相対的で曖昧な量子力学的な世界観へと移り変わります。
すべての概念を解体・分解してなくす解体主義は、客観的実在から相対的実存に変わることで、それまで合理的理性が認めた真理を解体します。
さらに量子力学的世界観になれば、それまで1:1の対称性で成り立っていた人間の言語と世界の関係性が破れます。
言語に依存して物事を観察・理解・思考すること自体も解体されてしまうのです。
解体主義が究極になれば、社会や歴史を進歩発展させてきた主体(人間)さえも解体の対象になります。
そうなれば神も消え、人間も消え、進歩発展の主体がない状態になってしまいます。
そこで登場するのが構造主義、構成主義です。
目の前の現実を写真に例えるなら、写真を映し出すカメラのレンズ、つまり現実の現象を生み出す裏にある構造に主体性を与えるのが構造主義です。
構造主義は歴史の進歩発展の主体は神や人間ではなく、現実の中では見えない構造にあるとしています。
しかし、見える現象だけを解体し、見えない構造(エネルギーのアルゴリズム)は解体できないため、多様な構造を生み出す究極のシンプルなメタ構造まで解体することに失敗しています。
そのため、多様な変化現象を語る複雑な構造の解析にとどまっている限界があります。
最先端の技術によって再解析された脈略に依存する構成主義は、すでに起きた変化を上手に解析することはできても、科学技術万能主義を統制することができません。
結果的にDNAの遺伝子工学や非有機物工学、ロボット工学、デジタルアルゴリズム技術によって量産される無用者階級の危機を解決することができません。
本来、方向性を示し変化をリードする哲学の機能が発揮できないことが構成主義の弱点です。
中途半端な解体・構成をこえなければならないのです。
それぞれの脈略に沿って理解する構成主義が広がれば、一人一人がひとりが自己中心的な再解析にとどまり、主観的に関心があることを強調するロマン主義が量産されてしまいます。
S(主語)とV(述語)を分離して、主語が限定された範囲の中だけで変化・運動・移動をするような理解方式にとどまっている問題を明確に規定しています。
消しゴム機能によって、すべての大きさがある多様な主語をオールゼロ化させた時に、まったく新しい概念である源泉的な動き1つだけがあることが鮮明にわかります。
そのひとつの動きは主語と述語がイコール(絶対世界)になるため、イメージ不可能・認識不可能・感じることが不可能な状態です。
このひとつの動きから多様な大きさとその大きさの動きが生まれる仕組み、すなわち、次元・観点・意味の場、エネルギーのアルゴリズムが生まれる仕組みと、そこによってエネルギーが物質化、存在化される相対世界の多様な現象を解析できるようになります。
自由主義的な人間至上主義(自由主義)と社会主義的な人間至上主義(社会主義)、進化論的な人間至上主義です。
社会主義運動と共産主義運動を網羅する社会主義は、自分の欲求よりも他者がどのように感じているか、自分の経験が他者にどのような影響を及ぼすのかに注意を向け、人々の一致団結を重要視します。
進化論的な人間至上主義は、優劣は争いによって決まることが自然選択による進化であるとし、人間の対立に対して優れたものを尊重することで解決しようとしています。
その後、ソ連を中心に共産主義が世界に広がりました。
共産主義は一人ひとりの人間の経験や欲求を個人の現象としてとらえると複雑でまとめることができないため、自己の探求よりも支配的な社会制度を理解して、他のすべての人の経験を考慮に入れた時にはじめて自己を理解ができる、団結した活動によってのみ制度を変えることができると主張し、世界に広がりました。
ソ連の崩壊により最終的に生産性が一番高い自由主義が主流になり、今ポストモダニズムが世界をリードしています。
科学革命は現在、バイオテクノロジーによってDNAの操作をしたり、サイボーグ工学によって体にチップを埋め込んだりするなど「生物学的限界を超える力」にまで到達していますが、人間至上主義にも変化をもたらすのでしょうか?
人間至上主義の根底にある自由意志や感情自体がアルゴリズムでコントロールされるようになれば、人間個人の価値は否定され、個人主義が解体されれば、人間至上主義は大きな変化を求められるでしょう。
これは哲学の最大の難題であり、科学の最大の難題でもある自由意志論と決定論をどう融合していけるのかという問題にもつながりますが、nTechではどのように解析していますか?
それは心と脳の関係でもあります。
人間にとって大事な一番深い世界です。
今自分がやっている行動は、宇宙が誕生する前に決定されている結果物なのでしょうか?
それとも今自分の自由意志で実行した結果なのでしょうか?
自由意志論だと言えば、物理法則を説明できませんし、決定論だと言えば、人を殺しても138億年前から決まっていたとなれば、その人の責任を問うことができません。
自由意志論と決定論を矛盾なく融合するためには、機械化されない心から機械化される心が生まれる仕組み、すなわち絶対世界と相対世界の関係性を説明できる必要があります。
nTechは絶対世界と相対世界の関係性を解明し、物理法則を壊さないまま自由意志論が成り立つ仕組みを説明しています。
人間に自由意志はあるのか?
自由意志論と決定論については哲学について語るときに、また詳しくお話ししましょう。
今ここ1で生きる令和時代を切り拓く新しい技術が誕生しているのですね。
Nohさん、本日はありがとうございました。
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今回は「ホモサピエンスは地球を征服した後、どのような統合秩序システムをつくり維持したのか?」をテーマにサピエンスの歴史の変遷を伺いました。
次回は、「地球の覇者であるホモ・サピエンスが、その支配力を喪失していくプロセスとは?」についてお話しを伺います。
これからサピエンスがどのように変化していくのか、その後どのような人類が誕生するのか、次回以降もお楽しみに!
(ライター:塩見典子)
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