こんにちは。セミナー講師の塩見典子です。
今日は、普段あまり話題にしない「死」について、Nohさんにお話しをうかがいたいと思います。
みなさんは「死」をどのように捉えていますか?
私は「死」はみんなが怖いものだと思っていたのですが、「怖くない」と言う方もいらっしゃることを知り、驚きました。
死に対する絶望や恐怖・虚無感を克服し、また、生きることを100%楽しむためにはどうすればいいのでしょうか?
では早速、いただいたご相談を紹介します。
【相談者】
34歳 女性 会社員 2児の母
【相談内容】
私は10年前、突然の事故で母を亡くしました。
当時は出口のない暗闇の中にいるような気持ちで、とても辛く落ち込んでいましたが、その後、結婚して子どもにも恵まれました。
毎日を忙しく過ごしていますが、今でも母を思い出すと涙が出ます。
母との急な死別を通して「死」について考えるようになり、私自身も小さい頃、死ぬことが怖いと感じていたのを思い出しました。
亡くなった母は今もどこかにいるのでしょうか?それとも、もういないのでしょうか。
私も夫も子どもたちも、将来いつかはみんな死を迎える時がきます。
それにも関わらず、そもそも人は何のために生きるのでしょうか?
そして、必ず誰もが経験する「死」とは何でしょうか?
認識技術を学ぶことで「死に対する絶望や恐怖」は克服できるのでしょうか?
相談者の方と同じように、私自身も幼少期から「死」を恐れていました。
自分だと思っているこの肉体が消えて無くなることが怖くてたまりませんでした。
現在私の周りでも、死んだらどうなるのか分からない不安、愛する人達と別れなければならない絶望や孤独の恐怖、肉体的な苦痛に対する恐怖、
そして、どうせ死んでしまうのに、そもそも何のために生きているのか分からない虚無感に襲われるという話を聞きます。
だけど、人間はいまだに「死の恐怖」を根本的には克服していないように感じますが、
Nohさんは「死の恐怖」の原因は何だと考えていますか?
人間とは何なのか?生きるとは何なのか?死とは何なのか?
が分からなければ、死の恐怖を克服することはできません。
「1があることは分かる」世界は、2も3も4もある可能性があります。
「1だけがある」世界は、2・3・4はありません。
1しかありませんね。
これが今までの人類の限界です。
これまで人類は絶対世界を取り入れながらも、現実を完全に否定することができませんでした。
なぜなら、もし完全に否定してしまったら、目の前に実在しているように見える現実が何なのかを説明しなければならなくなるからです。
つまり、絶対世界と相対世界の関係性を説明することができなかったから、「1があることは分かる」という概念にとどまっていたのです。
「1だけがある」絶対世界と、今、目の前に広がる現実・相対世界との関係性を、論理とイメージで立証しているのが認識技術です。
この技術の開発によって、絶対世界と相対世界の関係性を、誰もが論理とイメージで理解することが可能になり、人間は無知を克服することができるようになったのです。
認識技術は科学技術の基礎である数学・物理学とも整合性が取れていますので、これからのAI時代をけん引していく未来技術にもなりますよ。
その代わり、ここでは絶対世界と相対世界の関係性が理解できた時に、人間の生死の概念がどのように変わるのかについて考えてみましょうか。
今ここで自ら選択できる変化は1つしかありません。
それは何だと思いますか?
例えば、知らないから知りたい、お腹が空いたからご飯を食べる、夜になったから家に帰るというように、人間は条件反射の中で生きています。
それなら、自ら選択できる変化なんてあるのでしょうか?
「今ここ完全に死ぬ」とは、生きたまま死ぬ知恵のことです。
完全に死ぬことができるから、完全に生きることができるのです。
今「どうすれば完全に死ぬことができるの?」と考えている考えがありますよね。
これは精神エンジンによる運動です。
精神エンジンが働くためには、心臓が動いたり、肺が動いたり、生命エンジンによる活動が必要です。
生命エンジンが働くためには、細胞を構成する原子の動きや地球の自転・公転など、物質エンジンによる移動が必要です。
物質の動きが働くためには、時空間をつくる光エンジンによる波動が必要です。
その精神の運動、生命の活動、物質の移動、光の波動の4つの動きを、巨大なスクリーンに映し出されている映像だと思ってみてください。宇宙空間の中の動きがすべて映し出されている映像スクリーンです。
その映像が映し出されている背景にバックスクリーンがあります。
それが宇宙の外の真空エネルギー、エネルギーエンジンの振動です。
このバックスクリーンと映像スクリーンの動きを同時に成り立たせている永遠不変の1パターンの動きがあります。真実に実在しているのは、この永遠不変の1パターンの動きだけなのです。
これをオリジナルマインドと呼んでいます。
オリジナルマインドだけがあるところから、錯覚のバックスクリーン、映像スクリーンをつくり、映像スクリーンの中の一部分のアバターにはまり込んで、この体だけが自分だと思い込んで生きるようになる仕組みがあるのです。
その仕組みが分かれば、自分でも設計ができるようになる。
Nohさんがよくおっしゃっている心の半導体ですね?
アバターである体が自分だと思う偽物の認識主体ではなく、オリジナルマインドが認識主体になる時、有限化された宇宙がシンプルなアルゴリズムで観えるようになってくるのです。
そうすれば、思った通りの現実を創ることができるようになりますよ。
肉体の死によって消えるのは、精神エンジンと生命エンジンです。
肉体が死んでも、物質エンジン・光エンジン・エネルギーエンジンは変わらず動き続けます。
科学の観点で言えば、通常、自然界の中で原子が壊れることはありません。
例えば、日本の中には、昔の侍たちが呼吸した原子が壊れることなく循環しています。
今、あなたの一呼吸の中にも上杉謙信や武田信玄、織田信長たちの身体の中を巡った原子が入っているんですよ。
先ほど「完全に死ぬことができるから、完全に生きられる」とおっしゃっていましたが、完全に死ぬ=生きたまま死ぬにはどうすればいいですか?
完全に死ぬためには、肉体の服だけでなく、物質エンジン・光エンジン・エネルギーエンジンの動きを脱いで、5次元ひとつの動きだけがある、オリジナルマインドそのものになる必要があります。
オリジナルマインド「1だけがある」状態になった時に、認識主体と認識対象の境界線が消え、生まれることも死ぬこともない心の状態になることができます。
これが、人間と人間の宇宙が完全に死んだ状態です。
その「1だけがある」状態になりきってみれば、無限大多様な境界線があるようにみえる錯覚現実がどれくらい奇跡にあふれている世界なのかが、よく分かるようになります。
オリジナルマインドが認識主体になれば、目を開けて見える境界線一つが歓喜に変わり、生きていること自体が楽しくて、目の前の現実が愛おしくてたまらなくなります。
自分と自分の宇宙が実在しない、オリジナルマインドで生きる人間性能2.0の精神知能になった時、生老病死の苦しみや根深い虚無感から自由解放されます。
今ここを自らが設計し創造するGame感覚を持ち、生きること自体が歓喜にあふれるようになります。
さらに、人間性能3.0の尊厳知能になれば、現実で生きる中心道具(アイデンティティ)が個人から、オリジナルマインドで生きる5人の共同体・完全集団へと上昇します。
音だけを認識できる耳だけの生物と、5感覚を持っている生物では、みている世界が違うと思いませんか?
5感覚を持っている生物の方がはるかに状況把握能力や意思決定能力、生産性や創造性も高いと思います。
個人の肉体が死んでも完全集団は死にません。
進化し続けることができるのです。
本質的にも現実的にも死が無いことが実感できれば、死ぬことも楽しめるようになります。
まだまだうかがいたいことはありますが、今日はこの辺りで終わりたいと思います。
Nohさん、ありがとうございました!
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いかがでしたか?
死に対する絶望や恐怖・虚無感を克服するためには、人間の無知や虚無主義を解決する必要があるのですね。
私たちの日常と一見関係がないように思える、絶対世界と相対世界の関係を明々白々に理解することで、このことが紐解けるとは意外でした。
絶対世界と相対世界の関係が分かって、人間とは何なのか?生きるとは何なのか?が明確になれば、死に対する絶望や恐怖・虚無感だけでなく、生きることすべてが、明確になりそうです。
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