観点の次元上昇による認識の変化のことを、観術では認識革命と言っています。
脳や体の感覚に依存した古い意思決定ではなく、心の感覚を意思決定の出発点にすることが認識革命の基本です。
認識革命を通してひとつしかない真実の世界を悟り知るところから始まる新しい意思決定について、共有したいと思います。
普段私たちは脳の5感覚に依存していて生きています。
それはどういう状態かというと、目を開いている時は常に「自分(体の自分)」と「自分ではない世界」の境界線がある状態です。
また、自分の外側にペン、コップなど多様な存在があり、それぞれ境界線があって分離している状態です。
この状態では、たとえば「ペンは書くもの」というように、「こうだったらこう」「A=B」という方程式・因果論・決定論に考えがつかまれてしまいます。知識や経験があればあるほど、自分が知っている世界や過去のイメージにとらわれ、束縛されます。
また、人間は誰もが0~6歳の時の体験、経験によって根本判断基準がつくられますが、その根本判断基準は大人になってもずっとその人の無意識を支配する絶対的な基準になります。
これはどういうことかというと、たとえば人とコミュニケーションをしている時も、自分の中にある絶対的な判断基準が常に働いていて、相手の表情や言葉や態度に瞬時に反応して、0.0001秒ほどの超スピードで条件反射的に自分の中から様々なイメージ、考え、感情が出ているということです。
誰もがそのように、つくられた自分の考えのパターン、感情のパターンに支配されて生きています。
つまり、本当の自由選択意志は働いていないということです。
自分では、自分の自由意志で判断や選択をしていると思っていても、実は、自分の絶対的な判断基準に束縛されたまま、方程式・因果論・決定論の中でずっと生きているのです。
そのことを認めた時に初めて、方程式・因果論・決定論から自由になった真実の世界を知る探究が始まるのです。
人間の脳は、自分と対象を分離し、あらゆる事物を分けて認識します。真実は分離のない、境界線のないひとつの世界なのですが、脳の5感覚ではその世界を認識することは絶対にできません。
脳の観点に固定されている状態では、対象が増えれば増えるほど、境界線も増えていき、争いや悩みの原因になります。
その状態で意思決定をしても、幸せや平和になるよりは、むしろ問題を生み出してしまい、頭の中もどんどん複雑になって、生きることも、人と交流することも苦しくなります。
本当は実在しない時間・空間・存在の因果論の世界から自由にならない限り、本質的に人間は幸せになる道はないのです。
では、観点が次元上昇した新しい意思決定とは、どのようなものなのでしょうか。
仏教の「四法界」という教えの中で、今ここ真理しかない「事事無碍法界」という悟りの最高の境地があります。まさしく今ここ事事無碍法界の心そのものになること、それが認識革命であり、自由選択意志による新しい意思決定の基本なのです。
この悟りの境地は、イメージすることがそもそも絶対に不可能で、「不立文字」「以心伝心」と言われてきました。当然、暗記言語(名前を暗記して使う言語。
英語、日本語、ハングルなど既存の言語はすべて暗記言語)では、その究極の真実世界を共有することも伝達することも不可能なので、悟りの世界は一般化されず、現実と遠い世界にとどまっていました。
歴史上ずっと越えられなかったこの難題を、イメージ言語の発明によって突破したのが観術です。
イメージ言語によって、誰もが真実のひとつの世界、最高の悟りの境地を認識し、理解、納得できるようになったのです。
そしてイメージ言語を活用した認識技術•観術を教育体系化し、客観的な認識再現ができるようになったので、技術化にとどまらず、商品化、職業化、産業化への道に挑戦しているのが、NRムーブメントです。
認識革命が起きると、今ここ、この瞬間に、自分が真実の心の感覚から「自分」と「自分の宇宙」を再創造して楽しめるようになります。
自分を支配していた認識のパターン、考えのパターン、感情のパターンから解放されて、自由になることができるからです。
真実には大自由の心ひとつだけがあります。
その心そのものを悟れば、今ここ何を観るのかが、幸せに生きるための重要なキーワードであることがよくわかります。
今ここシンプルを観ればシンプルな心になり、
今ここ美を観れば美の心になり、
今ここ神秘・奇跡を観れば神秘・奇跡の心になり、
今ここ絶対尊厳を観れば絶対尊厳の心になり、
今ここ調和を観れば調和の心になり、
今ここ愛を観れば愛の心になる。
大自由な心の人間になって、今ここ、この瞬間に真理そのものの事事無碍法界の心になれば、すべてが美しく、神秘、神聖、奇跡であり、真理でないものはひとつもありません。
今ここ、この瞬間、何を観て、どう思うか。
本物の自由選択意志で、再創造の主として生きること、それが観術が案内する生き方革命なのです。
Noh Jesu