最近、ある事実を知りました。
それは、まだ私のことを統一教会の信者であると思っている方が、意外に多くいるということです。
15年もの間、日本でJAPAN MISSION・JAPAN DREAMと訴え続け、ムーブメントを展開していますが、いまだに私は直接「統一教会の信者か」とか「統一教会と関係があるか」「どんな見解を持っているか」などの質問を一度も受けたことがありません。
それなのに、本人の知らぬところで、私を信者だと確信し、噂する人たちが多くいることに、正直少し驚いています。
たしかに私は、小さい頃から本質に対しての追究心があり、そのため、キリスト教やエホバの証人の中のバイブル(聖書)研究会、また大学時代はヨガや仏教などと、あらゆるものに触れ、熱心に学びました。
しかし結果として、ある結論に達し、すべての宗教から一切関係を断ちました。
その結論とは、宗教活動には限界があるということです。
もちろん素晴らしい点もあり、世界観を整理整頓することで個人の心に平和を与えることができるし、その宗教組織の中で素晴らしい人間関係を築くことができます。
ですが、宗教活動で世界平和を実現するには、個々の無限の可能性を広げることや、組織や立場を超えた愛・平和そのものの人間関係を築くことが必要ですが、それが難しいという本質的な限界があったのです。
宗教は、古来より人類と密接な関係にあり、本来は平和を願うためのものです。しかしその宗教観の違いによって起こる紛争は、いまだなくなることはありません。これは、平和を願うための宗教が、反対に争いの種になっている事実を示しています。
私は15年前に福岡の地で5次元世界を発見したことで、この事実を裏付ける明確な宗教組織のクローズ性を確信しました。
ですから5次元認識テクノロジーのセミナーでは、論理とイメージを活用し、多様な学問や宗教・思想哲学・理論体系・ドグマ体系の限界・4次元意識世界の、思考論理展開の問題点を立証してきたのです。
たしかに、まだセミナーを受けたことのない方に立場を変えてみると、日本で韓国人が本質的な話を語るから、統一教会かも知れないというイメージを持つことは理解ができます。
事実は、私は大学時代に少しの期間ですが統一教会の活動もやったことがあります。ですが、私は韓国の統一教会の活動をやめ、文鮮明氏のメシア性を全面否定しました。そんな私を、韓国の統一教会の一部の信者は、サタン(悪魔)と呼んでいる時があったのです。
私はその当時から今も変わらず、宗教法人も企業と同じように納税すべきであるし、主観的信仰に依存せず、組織活動による透明な競争によって知識技術を切磋琢磨していく必要があると思っています。
なぜなら、本当に宗教組織が人の心を平和にし、その人の無限の可能性を広げる技術・知識があるのであれば、それは素晴らしい価値があるもので商品化・ビジネス化・産業化でき、客観性を生みだすことが可能だと思うからです。
しかし今までの宗教組織は、残念ながら、人の変化を客観化させるような透明な法則のもとに活動しているようには見えません。
また、すべての人が真に救済されるためには、結果として一人ひとりが「自分の思考」に勝つしかありません。つまり、救済を必要とする束縛の実体とは、自らを束縛している「自分の思考」であるということなのです。
自分以外の他の存在を救世主と思いながら解放を求めても、真の解放を得ることはできません。自分を「自分の考え」から救済できるのは、自分でしかないのですから。
このような考えが、韓国の統一教会内でサタン(悪魔)呼ばわりされた原因なのですが、日本では、そんな私が統一教会の信者であると思われてしまうのですから、何とも不思議でなりません。
さらにHITOTSU学では、5次元の動きを素材に、すべての4次元現象(縦・横・高さがある存在が、時間によって変化・運動・移動、生老病死する自然現象・社会現象・心理現象)を説明しています。
また、条件によってどのようにでも変わる現象世界は、人間5感覚脳がみせる錯覚の芸術であり、真実に実在する永遠に変わらない5次元の動きだけの世界は、魂の芸術であると考えています。
このように「ひとつだけがある世界」を語っているため、教祖や信者など垂直階級的な分離が起きることはありえないのです。
どうやら、HITOTSU学の内容をまったくご存知でない方たちが、事実を確認せずに私を統一教会の信者や新興宗教の教祖だと思い込み、「人の噂は倍になる」という言葉のとおり尾ひれはひれをつけて噂を広げているようです。
しかし、このような噂による逆境の中でも15年もの間、多くの方に受け入れられて広がっているということは、HITOTSU学の内容が、この時代、そして今の日本の人々に、真実に求めている内容であり価値あるものだということを認めていただいている証拠であると、私は確信しています。
また、さまざまな誤解や非難を受けても、やはり私は日本に希望を感じてなりません。
その理由の一つが、まさしく、日本社会全体が持つ、新興宗教を巨悪なもののように規定する風潮があることです。
本質的にみればこの風潮は、日本社会が、多様な宗教を統合して超越できる美しい精神文化の誕生に確信を持っているから起きるものだと考えられるからです。
この観点からみると、日本文明の先進性・可能性・真実性を感じ、西洋発の学術の限界を超える観術の世界をグローバルスタンダード化していく日本を見たい、応援したい、共に創っていきたいという思いが溢れ出てきてきます。これが、JAPAN MISSION・JAPAN DREAMを実践するエンジンなのです。
最後に、「人の噂も七十五日」という言葉がありますが、私の噂は、少し長めのようです。しかし、15年経ったこの辺で、そろそろこの噂も終わりにしたいと思っています。
私のことを統一教会の信者、もしくは新興宗教の教祖であるように思い込み、噂を広める方たちに、ひとことお伝えしたいのです。その行為は、私自身は良いとして、私やHITOTSU学を応援してくれる人たちに、とても失礼なことであるということを。
もし疑問をお持ちの方がおられるなら、毎月どなたでもご参加いただけるHITOTSU学講座にご参加ください。
必要のない誤解は早く解き、国家・民族・宗教などの様々な垣根をこえて、互いに同じ人間として出会い、明るい未来をつくっていけることを、心から願っています。